雑記

日本読書株式会社から遠く離れて(本の感想や本の評価についてのまとまりのないこと)

『発作的座談会』(椎名誠・沢野ひとし・木村晋介・目黒考二著・角川文庫)という本を高校の頃に高校の図書室で借りて読んでいます。ひとつのテーマに関して本の雑誌社の幹部が語ったものを活字化した本で、名誉のために書いておくと「無人島に持ってゆく本…

Too late(もしくは更迭の記事を眺めての雑感)

前にも書いたことがあるのですが、またしちめんどくさいことを書きます。 ドイツの歴史を遡るとナチスの時代には社会全体のためにという理由で生命を二分して優劣をつけて異なる措置をしていた時代にぶちあたります。たとえばT4作戦という障害者等を安楽死さ…

大河ドラマを1年視聴して

血液型による性格分析ほどアテにならないと思いつつも、なんとなく思い当たるフシがあるのが「B型は飽きっぽい」というやつです。たとえばテレビで継続して視ていたものでも何らかのきっかけで途端に視なくなったりします。その「何らかのきっかけ」が言語化…

おでんについての雑感

あまり褒められた話ではありませんが卵が得意ではありません。作るのも食べるのも完全にダメというわけではないものの、出来れば避けて過ごしたいです。困るのがおでんだねで、関東炊きではばくだんというすり身の揚げ物の中に卵が丸ごと入っている(個人的…

小型クリップを利用したミス防止策(たぶん私以外には有益でない話)

この時期になると編集画面に「今年買ってよかったもの」という趣旨のお題がチラチラと出てきます。その今週のお題「買ってよかった2022」を引っ張ると個人的に一番有益と感じたのは文具店ならどこにでも売ってる小型のクリップです。もともとは市販薬や医療…

人力詮索さては「票とカネ」(もしくは個人的体験のむかし話)

歳をとると自慢話と説教と昔話が多くなると高田純次さんがどこかでおっしゃってたのを知ってなるべく避けたいと思っていたのですがその禁を破ります。 実質はあほうがくぶ卒でありながら法学部出身だからという不思議な理由で役所との調整をしながら簡単に書…

手術と注射と血圧の関係の個人的メモ

白内障の日帰りの手術を受けてきました。きっかけは小田急線のホームの案内板を眺めていたときで、以前はもっとくっきり見えたはずなのにそうではないことに気が付きもしや老眼になったのでは?と緑内障でお世話になってるドクタに相談したら「白内障が進行…

江ノ島へ

のどの痛みと発熱があって先月に発熱外来を受診しています。不織布マスクはもちろんのこと手洗いも励行していたにもかかわらず「どこで貰っちまったのかな?」とか文字通りの濃厚接触者に「感染させちまったかな」とかそのときは考えちまってて、PCR検査で陰…

関へ(もしくは江戸時代の脇差に関してのメモ)

これからまったく誰の役にもたたぬことを書きます。 世の中にはミニマリストという生き方があって最低限のものしか持たぬという考え方がありますが私は真逆で「そんなものを持っててどうするの?」的な無用の長物をいくつか持っています。その筆頭が相続した…

いつもと異なる月曜

何年か前の台風のときのこと、住んでいる街に避難情報がでたのをテレビで知ったものの、台風が来ているときに防災無線が聞こえるはずもなく、市のホームページは(おそらくアクセス過多で)重くて閲覧できる状態でなく、twitterの検索も市のHPのリンクを貼っ…

「やわらかい料理」

タマネギをすりおろしたものとタマネギをみじんにしたものをあわせてそれに肉を漬けこんで焼くと肉が柔らかくなる、というのを読んだことがあります。どこかのホテルが外国から来た歯が悪い客のために考案した、たしかシャリアピンという名前であったはずで…

これから行われる儀式の雑感

行政機関がなんらかの行為を行う場合はなにかしらの根拠になる法律が必要です。行政が行政指導を行う場合については行政手続法という法律がありますし、国とておなじことで自由にできるわけではなく、たとえば国と自治体との間でなにかしらもめ事が起きたと…

個人的読書遍歴(SF編)

どこまでほんとかはわからないけど夏目金之助先生は熊本に英語教師として赴任した際、授業では文法的なことはともかくとして最後まで読み通し、十代後半の学生に本を読む面白さを教えていたというのを読んだ記憶があります。あたりまえのこととして夏目金之…

昔見た映画『スミス都へ行く』のこと(もしくは西大寺の事件の雑感)

『スミス都へ行く』という戦前の米国のコメディ映画があります。若くて政治的経験が無い少年団の団長であったスミスが上院議員となってからの物語で、詳細はぜひ何らかの手段で確認いただきたいのですが、その映画のなかで無制限に演説するフィリバスターと…

臆病者の料理

おそらく年末か年始に水炊きの出てくる番組をテレビをやったのではないかと思うのですが、水炊きを食べたいというリクエストをもらって、 ジュウガツサクラは咲いてても寒いのでそうしようか、とひとりではない週末の夕飯に鶏の水炊きをやりました。 やりま…

孤立を恐れる社会と異質排除

世界の半分にはわかりにくいことを匿名を奇貨として書きます。何度か書いていますが私は小さいころに割礼を受けています。割礼を受けている同級生なんてほぼいませんでした。男子の子供の世界というのは不思議なもので、異質なものをはっきりと異質と指摘し…

めんみ

ここのところなんどか書いてる青ブタの作品のいくつかには作品に関して重要なテーマとしてSNSが出てきます。きわどい画像をアップする女の子の話があって、根っこにはSNSで注目を浴びたい、フォロワーを増やしたい、のできわどい画像をあげるという推測を主…

西原さんの毎日新聞の連載

いまでこそ白髪が増えましたがどちらかというと童顔なので、なめて見られることがなかったわけではありません。条文上瑕疵ないけど道義的にどうよ?というようなことに直面して、立場上なにもしないというわけにはいかないので道義的にいかがなものかという…

アナログの時計

甲府の信玄餅は別として死んだ両親はよくある定番の土産を買うことを露骨に嫌っていました。安直に金を使うな、情報収集して考えて金をつかえ、という教育だったのかなあ、とは今になって思うのですが、当時はそんなことはわかりません。両親が生きてる間に…

理想の林檎

父方の祖父は80代まで生きています。曽祖父が若くして関東大震災のときに被服廠跡に逃げ込んで焼死し、なので苦労したのか「いつまでもあると思うな親と金」と大きく書いてある大福帳や金銭出納簿を残してます。両親が死んだ後に書類を整理してるときに(お…

玄界灘の血を糧に

歌の話をひっぱります。 人は風呂場などで機嫌がいいとはなうたを歌うことがあります。わたしは「いざゆけ若鷹軍団」です。特段ホークス贔屓ではありませんが、いまはイオンになってるダイエーで、ホークスの応援歌が流れていたことがあって、何回も繰り返し…

続・まぶたのオレンジ問題

あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも、というのが百人一首にあります。短歌を理解するのには歌われてる状況を想像するのがいちばんかもしれませんが、小倉と云えば小倉餡で三笠と云えば文明堂のどら焼きしか知らぬ東京の人間にはムリな話…

貧乏草の謎

☆をいただいてから存在を知って読ませていただいているブログがあって、そこでヒメジョオンという名の草について言及されていました。いつものように話は横に素っ飛びます。真ん中が黄色く周囲に白い花びらがあるヒメジョオンの写真には見覚えがあって、わた…

相続財産

なんどか書いてると思うのですが工業用機械の会社に勤務していた父は「屋台で生ものを喰うな」というのと「タダ酒は品性がいやしくなるからするな」というのを子である私に(成人式の後か社会人に出るあたりで)アドバイスしました。理屈はわからぬものの「そ…

柿のみりんがけ

何回か書いていますが両親ともにすでに他界しています。母が死んだあとは絶対売るな捨てるなと厳命されていた日本戯曲全集の歌舞伎編20冊ほどのほかに鬼平犯科帳をそのまま手許に残してます。吉右衛門丈のファンだったかは聞きそこねたものの鬼平犯科帳はが…

軽薄な人間の30年

平成がはじまった頃は十代半ばで、それから30年を経ていま四十半ばです。はてなの今週のお題は「平成を振り返る」なのですが、ひとことで言ってしまえば想定外の連続です。いまから三十年前には四十過ぎてたらマトモな大人になってるはず、という希望的観測…

風呂敷

ジャガイモを茹で、皮をむいてそのままバターというのも好きなのですが、わりとよくやるのはジャガイモをマッシュにしながらカレー粉とマヨネーズと若干のバターと、最後に(私は九州出身のはてなユーザの方から教えてもらった店で買った既製品を使いますが…

悪い評判をたてられたときのこと

民事訴訟法というのがあって、ものすごく大雑把なことを書くとおのれに有利な事実については立証する責任があり、それが出来なければ負けることがあります。 じゃあ書面や証拠を読んでて互角で、債権者債務者どちらかを勝たせたいと迷うとき、裁判官はなにに…

10連休

前にも書いたことがあるのですが、万世一系のやんごとなき身分の方々の車列が目の前を通るとなると横断歩道がつかえなくなります。地下鉄の駅のそばならそのコンコースをつかえますがそうではない場合、車列が終わるまではずっと待つ必要があります。冬の寒…

あんばようやってちょーよ

きっと前にも書いてるはずなんすが、名古屋勤務時に「ま、あんばようやってちょーよ」とちょっと上の人に言われて戸惑ったことがあります。あんばいよくやってな、という意味なのですがそのときは名古屋に来たばかりで完全な名古屋弁スピーカーではなかった…