文章を書くことの苦手意識の変遷について

高校時代に交換日記をしていた時期があります。当時もいまも書くことが決して得意ではありません。理由は単純で「文章をどう書くか」の基礎知識がないからです。おそらく人は知識が無いと苦手意識をもちます。苦手だからって回避できなかったのが交換日記というシステムです。くわえて最初のうちは「なにを書けばよいのか」もわからなく見当がつかず、なので身のまわりに起きたこと中心にまとめ、しかしがんばっても三行で、ゆえに三行日記っていくらかバカにされていました。

もちろんごらんのように今は三行以上書けています。ただ「なにを書けばよいのか」は別として、基礎的な「文章をどう書くか」ということの根本をいまも理解しているかというとかなり怪しいです。たとえば提示しておきたいAという段落と次いで提示しておきたい真逆のBという段落をどうやってつなげればよいのかなどよくわかっていません。なのでAという段落とBという段落をつなげるときに「話がいつものように横に素っ飛んで恐縮です」とか「でもなんですが」とか、なんとなくすわりの良いフレーズを勝手に挿入しています。それが文法や文章論として正解かどうかは横に置いておくとして、肝心の知識がない分の苦手意識を笑われてもいいやという厚顔を土台にした度胸でカバーしてる状態です。全裸で彼氏の前に出るのは最初は恥じらいがあったけど度胸で克服し繰り返すうちにまったく恥じらいが無くなったのに感覚的には近いです…って余計なことを書いてる気が。

そして既に何度か書いていますがはてなハイクというところで「日本語で書かれてるけどなにをいってるのかさっぱりわからない文章」というのに出会い、そういう文章を書きたくないという恐怖が出てきました。そうなってくると書くのが苦手なんて云っていられません。そして出来ているかどうかは別として、誰にでもわかる文章をというのを心がけています。

さて、はてな今週のお題「苦手だったもの」を引っ張ると、文章を書くことが苦手と言う意識を完全に消すことはできていません。が、ある程度消せています。厚顔と恐怖は知識の無さからくる苦手意識を駆逐するのではあるまいか、と。書いてて気が付いたのですが、このままだと厚顔で恐怖を抱えた上に無知なおじさんであることの証明になってしまいそうなのでこのへんで。