この10年での変化(もしくは「わにわにしちょし」と云われそうなこと)

甲州の言葉で「わにわに」というのは「ふざける」で、「わにわにしちょし」でおおまかな意味で「ふざけたりするんでねえ」という意味合いになります。これが話すほうと聞くほうが共に甲州弁話者であったら「わにわに」は通じますが、どっちかが甲州と縁もゆかりもないと通じない確率が高くなります。つまるところ話すほうと聞くほうが同質性がないと、意味が通じるとは限りません。

じゃあ甲州の言葉じゃなくて標準語の文章であったら?というと普通は通じると思うはずです。何回も書いてることなのですが以前はてなハイクというところで標準語でかかれた文章で、なにが言いたかったのかわからなかった文章に・なんべん読んでもわけがわからなかった文章に、私はでくわしたことが何度かあります。標準語であっても書くほうと読むほうに同質性がなかったら意味不明になりえるわけで、書けば単純なことで、しかし厄介です。

なぜそんなことが起きるかといえば、発話者からすると「わたしが判るんだからこの人もわかるんだろう」というおそらく共通の知識や体験を前提にした同質性があると思って言葉を省く場合が考えられます。はてなハイクに限らずはてなブログを含めたWebというのは読書傾向や趣味などで同質性がある場合にくっつきやすい傾向がありますからそれは不思議ではありません。しかし人は工業製品ではありませんから、誰もが同じ本を読んで誰もが同じ感想を持つとは限らないし、同じ知識を持ってる・同じ経験をしたとは限らないので、言葉を省かれちまうと同質性が無いほうはわけわかめになるのです。

もうひとつ強烈に覚えてるのは、最初に断定があってそしてその断定があるゆえに強くてあるのは断定のみで説明が説明になっていない場合です。その人の中ではそれで完結してるのだけどその人と同じではない第三者からすると文章を読んでも「なんでそうなるのかがわからない」ので、なんべん読んでもわかりませんでした。

よくわからない文章を読みながら、異なる他人が存在するという意識が(正確に書けば一人ではなかったのだけど)その人の中では希薄なのかな…と推測し、このままわけわかめの文章を読み続けるとこっちが気が狂いそうになると考え、その文章を書いた人から離れてます。法務と税務双方に関わる仕事をしていた時期があって決してその方面に明るくない目上の人たちを説得しなくちゃいけない立場だったので、仕事じゃない場面で頭を使って理解できるとも限らぬ文章を読まねばならぬのだ、という側面もあったのですが。

もちろん名誉のために書いておくと(正確に書くと複数いるのですが反面教師にした)その人のはてなダイアリーTwitterに多くの読者やフォロワーが居ます。シビアなことを書くと私が多くの人と同質性がない、とも云えます。属性は一介の(勤務先はいまは4階の)サラリーマンですが性的マイノリティでもありますから冷静に考えるとぐうの音も出ません。ぐう。しかしそれは別の意味で厄介であることを教えてくれます。甲州弁でなく標準語で書いたとしても他の人と同質性があまり多くは無い以上、私の発する言葉は注意深く書かないと誰にも伝わらない可能性が高いわけで。それらに気がついてからは些細なことなのですが「おのれの属性とかなり異なる人が読んでもわかるように書く」というのをおのれに律しています。できてるかどうかは別として。

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」に乗っかってつらつら書いてきたのですが、上記の変化はこの10年のあいだで起きたことです。そして「おのれの属性とかなり異なる人が読んでもわかるように書く」ことなどを意識するようになると、書くことは考えることでもあることに気がつき、書くことを放棄するとバカになるのではないか?という恐怖もこの10年ででてきています。でもって、この話は実は何回も書いていて、些細なことなのですが何回も書きたくなる程度におのれの中で大事なことであり続けています。

最後にこの10年の変化に関連してくだらないことを書きます。

一昨年から「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない(通称・青ブタ)」というラノベにはまってしまいました。それまでラノベは読んだことすらありませんでした。青ブタについてもなんどか(読んだことが無くてもわかるように考えて)書いています。書くことはバカにならないための訓練と考えあふぇりなんたらをやってないのでアクセス解析の類をあまり覗かないのですが、先日時間のあるときに眺めてると青ブタに由来するアクセスが無いわけではないことを知りました。つい「おおお」と変な海獣のような唸り声が出てます。第三者からみたら意味不明にとれる言葉を避けるように努力してても人は時として意味不明な言葉を嬉しいと発してしまうことってないですかね…って「わにわにしちょし」と云われそうなのでこのへんで。