「もっと高く売れるのではないか」の誘惑

これから面白くもなければ感傷的にもならないことを書きます。

20年以上前のこと、23区内に親の実家があってそれを処分することになっています。親には兄や姉がいて実家の土地建物にはそれぞれ持ち分があり、兄弟姉妹のうちのひとりが死去した際に売却するということで合意したものの、おそらくよくある話だとは思うのですがある買い手希望者から申し出があった際にそのうちの一人が「もっと高く売れるのではないか」ということを云いだしました。地下鉄の駅から歩いて10分もかからないところで、バブルが崩壊したとはいえその記憶が拭い去れない頃の話です。その頃わたしは名古屋に居て、帰京した際に困惑していた親から(冷静に考えると法学部関係ないのですが)お前法学部だろう?という理由で「どう思うか」と意見を訊かれています。

さて選択肢が二つあるとき、つまり今決断するか次を待つか、どっちが良いかと云われると、先のことなどわかりませんから私は答えがありません。ほぼ博奕です。

いちまつの不安というのはどんなサイコロの目が出るかわからない博奕のようにどうなるかわからない点がイチマツ模様のように存在するから不安で、だとするならば、わからない点について解明できそうな点は、解明してゆくしかありません。

幸いなことに次に出るサイコロの目がわからない単純な博奕と不動産売買が異なるのは相手方の手の内を読むことが出来る点です。

不動産を売買するときには手持ち資金があれば別ですが、買う側はたいてい信用金庫や銀行などから融資を受けます。信金や銀行とて返済が滞ったときのことを考えますから、融資する際に取得しようとする土地がどれくらいの価値を持つか調べ、それを基準に融資額を決めます。アバウトな数字として相続税の路線価の8割から9割程度が銀行や信金の評価というのを経験上把握していて、登記簿のコピーを貰って住所と面積を知り、図書館へ行き路線価を調べておそらく信金等が融資するであろう額を計算しそれを親に提示すると、買いたいと申し出ていた会社の提示額は仮定の融資額にある程度色が付きいくらか上乗せした額でした。

その計算式や額等を記述したメモを清書しろ、と云われて清書して、おそらくそれが兄弟姉妹間で閲覧に供されたと思われるのですが、「高値で売れるのでは?」と云っていた当人から直接連絡を貰っています。余計なことをしてくれたと怒られるのを覚悟していたのですが怒られはせず、あくまでも渋めな数字であることを説明し、融資を受けずに高値で買い取る会社があらわれる可能性も否定しなかったのですが、最後は売却と相成っています。親の兄弟姉妹は「もっと高く売れるのではないか」の誘惑に負けずにどうなるかわからない可能性に賭ける博奕をせず、一致団結して確実なほうを選択したわけで。

その血は私に確実に流れててあまり博奕をしません。不動産投資も博奕に近いと思ってるので近づかずに居て、くわえていま住んでいるところを売ろうとも思いません

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と、スポンサーがついてるにもかかわらず空気を読まずに書いちまいました…って、ねえ冷静に考えたらそれじゃダメじゃん

ところで説明文で「不動産価格の上昇に注目が集まるいま」という文言を見かけたのですがよく知る山梨県内全体では32年連続して下落している報道を今年に入って眺めていて、なので「え?山梨はいまではないの?時空のズレがあるの?」感があるのですがそれは横に置いておくとして(ほんとは横に置いていい問題ではないかもしれない)、そのテの些細な疑問は不動産に限らず重要な取引をするときは絶対大事にしたほうが良い(はず)です。人は目からの情報が8割といい特に文字にしてしまうとなんとなく信用してしまいがちですが、文字そのものはウソをつきませんが文字を操る人は事実ではないことを書く可能性が否定できないからです。なんかこう、まるでケンカ売ってるような文章になってしまったのでこのへんで。