いまから思えば育った街が空襲でなんどもやられたところというのも関係するかもしれぬものの、国歌というのを楽譜は見た記憶があるのですがそれは別として学校でどんな内容かを教えて貰った記憶がありません。ので、そんなのがなんらかの拍子に歌詞付きで国家を聴くと
さざれいしのいわおとなりて
というところで思考がストップし、え?さざれ石という岩が鳴る?どんな音が鳴るの?と不思議に思っていました。解決したのは辞書を引いてからです。神奈川の寒川町にさざれ石が置いてある神社があって「そういえば」と以前に彼氏にいわおとについての昔話をしたら声を殺して笑い、いまでこそそんなふうに笑い話にできますがいまこれを書いているやつは世が世なら真っ先に非国民と罵られるタイプですってそんな話をしたかったわけでは無くて。学校で意図的になにかを教えない、というのは無知のまま世の中に出るリスクがあるのではないかな、と。
話はいつものように横にすっ飛びます。
野党の党首が4月に北海道で「開拓の歴史を教えるべきであってLGBTを教えなくていい」という趣旨の演説をし、毎日新聞が質問状を送ると「限られた授業時間の中で何を優先して教えるべきかという教育政策上についての問題提起」という返答があったことの報道が7日付の毎日新聞で知りました。
ただその記事の中では性の多様性の扱い方について教育指導要領などには規定がないことをにも触れていて、その点については現状では問題が無いわけではないようで。
学校でLGBTについて教えるべきかどうか、というのは、個人的には教えておいたほうがよいのではないか?感が強いです。誰もが目と耳が二つあって鼻と口がひとつでも人間は工業製品ではないので誰もが同じとは限らない、というきわめて当たり前のことをなぜか性の分野では想像が働かないことがあるからです。また「誰もが異性に興奮するわけでは無い」「誰もが異性に恋に落ちるわけでは無い」という点を知識として多数の人が得ておくだけでも、仮にある集団の中にその属性の個人が居た場合、フォローできる可能性がでてくるからです。そして多様な性について何も知らないで無知のまま社会に出て恥をさらすよりも知っておいた方が良いことのひとつでもあるはずです。
個人的なことを書いておくと学校でLGBTについて教えて貰った記憶というのもありません。ただ昭和の終わりに近い確実にわたしが小学生のころに『ストップ‼ひばりくん』というアニメが夜にあって、番組冒頭に
「カラーテレビにしたって、色はいろいろあるでしょ」
(「ストップ‼ひばりくん」作詞・伊藤アキラ)
というフレーズのある主題歌がながれそれは
「ぼく、君が好きもじもじしないで」
と続いていて、主人公が同性を好きになるという設定なのかと子供でも理解できる内容で、ああそういうことがあるのか、と察しています。ただし視聴した記憶がないので歌詞以上の内容は知りません。
そして大事な点なのですがそれらの知識を得たからセクシャルマイノリティの当事者になったわけではありません。わたしはパソコンなどを買うときには財布と相談しつつ性能や価格を調べて合理的・打算的に判断しますが、私生活においては非合理的・非打算的に行動をしていてその結果、傍からみるとそこはセクシャルマイノリティとくくられる場所なのだな、と気がついた次第です。
↑上に書いたことは別にセクシャルマイノリティに属してなくても根っこの部分では同じのはずで、彼氏彼女奥さん旦那さんパートナー名称はともかくずっとでも一夜でもだれかと一緒にいることを決断するとき、パソコンを買うときのような合理性を考えたり打算的に選ぶかと云ったらそんなことはないはずなのです。その非合理的かつ非打算的な行動のうち、同性などだとセクシャルマイノリティとくくられることがあるわけで。
話をもとに戻します。
地震の震源が関東であった場合に夜の静かな時間帯だと地響きが聞こえることがあります。プレートが沈み込んで元に戻るのが地震という知識を得てからはようは岩石同士がこすれる音なのだな?と解釈し、その音を聞くたびに「いわおと鳴りて」ってこんな感じなのではないか?と云いたくてうずうずします…って途中まで真面目に書いてきたのにねえ、最後がそれじゃダメじゃん。