かすかな敗北感

組織によって違う可能性がありますが、定物定位置という言葉があります。よく工場やバックヤードなどで使う言葉で、工具を使い終わったら必ずその工具を定位置に置くようにして事故や紛失をなるべく防ぐための方策です。工具は場所によってはどこかに置きっぱなしにしておくと凶器たり得ますから安全対策になりますし、徹底すれば探す時間も省けます。社会人になりたての頃に叩き込まれた動作のひとつです。なので身に染みていて、血が出ると血が定物定位置に戻ろうとします…ってウソです。勤務時間を過ぎてしまえばそこまでは身に染みていません。たとえばエアコンのリモコンなどは定物定位置に置くべきなのですがかなり酔っぱらった夜はそれが徹底できず、翌朝などに行方不明になり、捜索したことがないわけではありません。きっと繰り返し書いてると思いますが、お酒が人をダメにするわけではありません。お酒は人のダメなところを露わにするだけです。

いつものように話は横に素っ飛びます。

寝室の照明が先週壊れました。吊り下げ式というかいわゆるペンダント式で、紐を引っ張って切り換えるやつです。なので退勤時に同じものを買おうとしたのですが住んでいる街の夜遅くまでやってる少し小さな家電量販店にあるのはほぼLEDタイプのやつでした。ペンダント式がないわけではないけどLEDタイプより高くデザイン重視のやつで、かといって改めてJRで隣の駅へ行くのもめんどくさいので、パナソニックのLEDタイプのものを買っています。持ち帰って説明書を読み交換をしたところで気が付いたのですが、切り替えは紐ではなくリモコンで、そしてそのリモコンはわりと小型です。無くしたらまずいな、定物定位置に置かないと、と認識したのですが。

枕もとの可動式の棚の上に目覚まし時計やスマホ、メガネとエアコンのリモコンなどと一緒に照明のリモコンを置くことに決めて対応することにして、三日ほどは問題ありませんでした。が、週末、深酒をしたわけではないけどお酒を呑んだ翌朝、常夜灯から全灯にもどそうとしたら、「ぴ」と全然関係ないエアコンの切り替え反応音が聴こえ、次いで続いて隣で寝ている彼氏がこらえきれずに吹き出す音が聴こえてます。どうもエアコンのリモコンと照明のリモコンを間違えてしまったようで。(私は裸眼の視力がおっそろしく悪いので)メガネをかけずにどのリモコンを確認せずに手近にあったものとってしまって押したのが敗因です。次いでの敗因は前夜のお酒の影響かリモコンをテキトーに置いてしまったせいで、やはりお酒は人のダメなところを露わにする気が。

アレクサを導入すればなんとかなるのかもしれぬものの、スマホに対して「オッケイグーグル」とも呼び掛けることが気恥ずかしくて出来ぬくらいなので「アレクサ、○○して」というのはハードルが高いです。なので間違いながらもしばらく試行錯誤を続けます。

はてな今週のお題が「現時点での今年の漢字」なのですが、一文字でなければ「試行錯誤」で、一文字なら「敗」です。新しいものを取り入れてうまく使いこなせてないとき、かすかな敗北感を感じることってないっすかね。ないかもですが。

「ネタドリ」を視聴して(もしくは東京大神宮の事例について)

飯田橋駅からそう遠くないところに東京大神宮という神社があります。恥ずかしながらその近くの大学に通っていましたが詳細な場所は知らぬまま卒業して社会人になっています…ってそんな個人情報はどうでもよくて。年末年始にその東京大神宮でクラスターが発生していたのは知っていて漠然と「どうして神社で?」という素朴な疑問がありました。ありましたが勤務先からも離れてるし飯田橋で降りることなどほぼ皆無なので、素朴な疑問はずっとそのままにしていたのですが。

NHK総合に関東ローカルの「ネタドリ」という番組がありほぼ限りなく偶然なのですがそれを視聴していて、東京大神宮のクラスターを取り上げていました。地元の保健所が介入調査した結果、食堂が原因ひとつとして挙げられていて、しかし以前より感染対策はされていて、たとえばアクリル板を設置し窓は開けていたそうなのです。ところが窓の反対側にある扉が常時開いていたわけではなく、加えて通常の職員のほかに臨時の職員も居て、そこで感染者が増えてしまったようで。

二方向を空けないと意味が薄れる・窓を一方だけ開けていただけでは空気が積極的に入れかわるわけではない、というのはとても腑に落ちるものではあるのですが、(直接の担当ではないせいか)換気について頭の中にあってもその点を常に意識してたかというと怪しいです。たとえば雪の降った日に退勤時に電車の中で「反対側の窓が少しあいてるから」と寒いし雪や風が吹き込まぬように窓を閉める代わりにブラインド幕をおろしたことがあって、しかしそれは換気の観点から「あれはあまりよくないことだったのだな」と。

失敗の事例というと失礼だけど公開した東京大神宮と丹念に報道したNHKもちょっとすごいな、と思いました。相変わらず東京はシビアな状態です。非リモート勢なのですが、限界はあるものの個人レベルで防げそうな気をつけねばならぬ点について改めてひとつ気が付けただけ、ありがたかったり。

白手袋のこと

歯科の先生のお子さんが感染して歯科の先生が濃厚接触者になって歯科の予約が吹っ飛んだ、という嘆きを勤務先で昨日聞きました。同僚は歯科での濃厚接触者にならずそして歯痛で通院していたわけではなかったようで(ただし固いものが噛めないので難儀している)。大袈裟なのですがそれを聞いて、社会機能の停止というのはあたりまえの約束があたりまえには履行されなってくことなのかもと、体感的にうっすらと理解しました。同僚にとっては不運なもののいまのところ歯科の休診で済んでいますが、これがあちこちで起きるとキツいなあと。

暗くなりそうなので笑われそうな話をします。

いまとなっては笑い話みたいになってしまうのだけど第一波の頃に駅で切符を買う際につまようじのようなものでタッチパネルを押している人が居た、というのをやはり勤務先で聞いたことがあります。私が目視したわけではないので盛ってる可能性も否定できません。ただその話を聞いてその場ではそこまではといったものの、洗える白手袋をその頃ヨーカドーで売ってるのを見つけて買うべきか否か当時ちょっと考えたことを告白します。これを書いているのはいくらか小心者です。幸いなことにそこまで警戒しなくてもよい状況が続いていたのはありがたい限りですが。

(ヨーカドーは8のつく日にはnanacoをつかうといくらか値引きになるので)18日には調味料などの食品を買い増しにヨーカドーに寄っています。ヨーカドーの店先には手指消毒用アルコールがあったのですが、私の前に居た複数の人はつかっていませんでした。それが直接の要因になるとは思えないものの、感染拡大はしばらく続くのかもしれないな、とシロウトながらなんとなく想像します。でもって、相変わらずの小心者なので手洗いや不織布マスクはもちろんきちんとするものの、通勤時などに使うつもりで洗える白手袋を買うべきかどうか、新規感染者数が去夏の数字より上回ってしまった第六波の今回はちょっと迷っています。でもそんなもの、あってもしょうがないよな、でも念のため…などとくたびれたおっさんの思いは千々に乱れるのですが。

「その着せ替え人形は恋をする」2話までを視聴して(もしくは「推し」にまつわる言葉の通じなさについて)

東京は再びシビアな状況に陥りつつあるのですが、いつものようにくだらぬことを書きます。

はてな以外のユーザーの人がここを見ていたらなんのこっちゃになるので書いておくと気になった記事を記録できるはてなブックマークというサービスがはてなにはあります。既にアカウントを消してしまってるのですが犬のアイコンのユーザーの人が居て、以前「けしからん」というタグでいくらかセクシーな画像を収集していました。そのセンスに脱帽したのですが…ってはてなブックマークの話をしたいわけではなくて、もしかしたらはてなブックマークで「けしからん」とタグがつきそうなMXで放映されているアニメの話をこれからします。

青ブタのアニメを制作した会社が今冬アニメを制作していて気になっていて、そのひとつがMXの「その着せ替え人形は恋をする」という作品で、確定申告のための書類の整理をしながら録画したのを2話まで視聴しています。雛人形職人を目指す男子高校生の五条くんとコスプレに挑戦したい女子高生の喜多川さんを軸にいまのところ話が展開していて、最新話第2話は喜多川さんが五条くんの家を突き止め突撃した喜多川さんが露出度の高い水着姿になり、かつ、いくらかきわどいシーンがあり、そのシーンだけ取り上げるとおそらく「けしからん」とタグがつきかねない作品です(なぜそうなったかは是非何らかの方法で原作かアニメをご覧いただきたいのですが)。

最新話2話では推し(=聖♡ぬるぬる女学園お嬢様は恥辱クラブハレンチミラクルライフ2の黒江雫ことしずくたん)について喜多川さんは五条くんに熱く語ります。もちろん日本語で、蓄えたの知識を含めて喜多川さんの推しへの愛情の言葉は溢れんばかりなのですが、同じ日本語でありながら五条くんはついていけません。傍から眺めてる限りは喜劇ですが五条くんからすれば悲劇です。健全な青少年であれば水着姿の喜多川さんのいくらかきわどい「けしからん」シーンが引っかかるのかもしれませんが私は不健全なおっさんなので喜多川さんが熱く語りつつ五条くんを置き去りにするそのシーンがなぜかひっかかりました。既視感があったからです。

五条くんが置き去りにされたことについて喜多川さんの説明能力不足にしてしまえば話は簡単なのですが、しかしながら喜多川さんみたいな好きなものについて日本語でしゃべってはいるけどなにをいってるのかよくわからない人って世の中に居て、なぜそんなふうになってしまうのか?とか2話を視聴してからずっと考えています。

ひとつの仮の解として、喜多川さんは「尊い」という言葉を使うのですがその「尊い」にしても誰もが理解するとは限らぬわけで、しかしそれを無意識に使ってしまうとすればそれは自分の言葉を理解できない他者など存在しない前提で会話してる可能性が高く、だとすると理解できないほうが一方が置き去りにされてしまう会話になってしまうのも不思議ではないかな、と。

もう一つの仮の解として、「良い」とおもうものは個人に従属する感覚的なもので(≒つまり聖♡ぬるぬる女学園お嬢様は恥辱クラブハレンチミラクルライフ2の黒江雫ことしずくたんが良いというのは喜多川さん個人の感覚に従属するもので)、個人に従属する感覚的なものゆえにどんなに説明しても他人が理解するかどうかは確実ではなく、結果として置き去りにされれしまうのかな、と。もしこの仮の解の場合、喜多川さんが良いと思ったものを五条くんが良いとはこの先理解できない可能性が出てきます。第1話で五条くんの持つ人形の一部を喜多川さんが誉めたことで五条くんと喜多川さんの友情が成立していて、ゆえに、物語的にそれはちょっと切ないな、とか思っちまいました。

もちろん正解はわかりません。ただ言語の意思疎通って難しいな、と。

話をもとに戻すと、「その着せ替え人形は恋をする」は物語の進め方が巧く、(個人的には最終話まで継続して視聴する自信も無いものの)いまのところは次がどうなるのだろう?という興味が湧く作品になっています。ただ「けしからん」タグがつきかねず万人受けするとも限らず、アニメを視聴すると・フィクションを読むと私はたまに変な方向へ思考がゆくのですが、熱く語ると匿名でも人格を疑われそうなのでこのへんで。

マスク越しの蝋梅

天気予報や報道などでの気温というのはだいたい地上から1m50cmあたりの高さでの話で、したがって、地面はもっと低いです。いま住んでいるところの前は車道は舗装されてますが歩道は舗装されておらず土のままで、東京のいま住んでいる多摩のあたりは朝晩はまだ氷点下になることが多く、ゆえに水が氷になる温度(いわゆる凝固点)は0度より下回りますから当然のようにここのところ霜がわりと降ります。

陽が差して霜が溶けるはじめるとぬかるみになります。緊急事態宣言は出てないけど遠出を避けて散歩をする人は増えてるようで、ぬかるみを何も好きこのんで歩くことないのではないかとは思うのですが、靴についた泥を舗装した道路で擦って落としてゆく人が居て、今日は舗装した道路のあちこちに泥が点在しちまってました。その泥を避けながら買い出しに出るついでに、まだかなと思いつつ近くの公園に寄ると

ロウバイが咲いてました。

残念ながらマスクをしてて、外すわけにもいかず、匂いはよくわからず。来年の今ごろはマスクなしでかげればよいのですが。

カレーの備蓄

去春、磯田道史先生の「感染症の日本史」(文春新書・2020)という本を読んでいます。そのなかで、京都在住の女学生の手記や原敬の日記、志賀直哉の「流行感冒」を引用しながら頁がわりと割かれてるのがおよそ百年前の大正時代の(関東大震災より死者数が多かった)スペイン風邪についてです。ロサンゼルス市当局の対応を総領事が外務省を通じて内務省衛生局に対して伝えられるものの生かされなかったこと(P56)、多くの人が密集する場所の閉鎖は行われず警視庁衛生係が新聞を介して人ごみに行くなと警告する程度であったこと、そしてそのことを与謝野晶子が嘆く文章を紹介しています(P32)。もっとも、ロシア革命が起きて米騒動が起き、原敬内閣は政党政治の頃ですから選挙も気にしなければならず、国民や経済に負担を強いる感染予防の規制はためらいが強かった旨の記載もあります(P58)。そこらへんを読んでいて、いまも政党政治である以上選挙を気にして強い感染予防の対策は取られないのではないか、などと去春から愚考していました。一昨日に東京の新規感染者数が二千人台だったのが今日は四千人台で、仮に去夏以上にもっと増えても、歴史は繰り返すといいますから当時の与謝野晶子の文章の言葉を借りれば「盗人を見てから縄をなうような」対策しかとられないのではあるまいか、という気が。万一、当たってもちっともうれしくありません。

が。

人のこといえるかというと怪しくて、一昨日の新規感染者数を知って昨夜退勤時にヨーカドーによっててはじめにインゲンやブロッコリとかの冷凍野菜やツナやコンビーフなどの缶詰を買い足しはじめたくらいで、これって「盗人を見てから縄をなうような」ものかも。

食べ物ついでにくだらないことを書きます。

私は陰陰滅滅になりそうな状態の時にパンとかジャムとかおいしいものを食べてシャットダウンする習慣があります。でもって、松本楼という洋食屋さんがあってそこのレトルトカレーを力仕事の手伝いのお礼に貰っています。一度も行ったことが無い店でしかし美味しいらしいことと名前だけは知っていて、食べてみたい誘惑がないわけではありません。しかし、これから先陰陰滅滅になりそうな状態になるのが判ってる状態で、さらに社会機能停止の可能性なんて言葉を聞くと保存食品である以上は、いますぐ食べずにしばらく備蓄に回したほうがよいのかなあ…と変に理性が働いちまってます。「漠然とした不安に対する警戒>食べ物への好奇心」ってこと、ないっすかね。ないかもですが。

この先どうなるのか見当もつきませんが、食生活はなるべくおろそかにせず、第六波を乗り切りたいところ。

「自己有用感」(もしくは「なにかを読んで別のなにかを理解すること」について)

世の中どんどんシビアな方向へ全速力で向かってる気がするのですがいつものようにくだらないことを書きます。

一昨年から「青春ブタ野郎シリーズ」というラノベを読んでいてここで書いてきていて、そして最新刊が一昨年の「青春ブタ野郎ナイチンゲールの夢を見ない」(鴨志田一電撃文庫・2020)でした。いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、真面目で正義感を持ったヒロインが登場し物語の中で登場人物の言葉を借りれば

「だけど郁実は違う。ひけらかすためのものでも、マウントをとるための活動でもない。本当の誰かの助けになろうとしてて…時々、気持ち悪い」

(「青春ブタ野郎ナイチンゲールの夢を見ない」P168)

と云われるくらい本当に誰かを助けようと行動します。ナイチンゲールでは通奏低音のように流れているテーマのひとつが「正義」または「正義感」もしくは「正しさ」で、いったん理想にして取り込んでしまうとどう拘束しておのれを殺すかを・羨むくらいの他人とおのれを比較することがどれだけおのれを殺すかを、肝心かなめの時に何もできなかったことの無念さを含めてフィクションにのせながらほんのちょっと残酷に描かれています。ただ読んでから日が経過するにつれ、真面目で正義感があったとしても・よくできた他人がいて羨んだとしても、気持ち悪いくらいに本当に誰かを助けようと行動するだろうか?とはうっすらとした違和感がありました。うっすらとした違和感を解消しようとして物語を去夏に読み返したのですが度数の高い酒を呑んだようなヒリヒリした感覚がぶり返してきて、読前の疑問などどうでもよくなって放置して熟読しちまってます。それじゃダメじゃん

いつものように横に素っ飛びます。

今朝の毎日新聞(12日付朝刊)で、日本近代史が専門の加藤陽子東大教授が作家の温又柔さんとの対談に出ていて、ある問いに対して、内閣府の調査を引用しつつ

「日本の若者は自分が役に立たないと感じるほど自分に不満か傾向がある。この自己有用感の低さが関係するのではないでしょうか」

と答えていました。この自己有用感という言葉にぴんときて、飛躍して恐縮なのですが自己有用感という語句をナイチンゲールを読んだあとのうっすらとした違和感に代入すると違和感が溶けています。自己有用感が低いゆえに気持ち悪いくらいに本当に誰かを助けようと行動して自己有用感を得ていたのかも、と。腑に落ちたのでいずれもう一度どこかで時間をとって上記のナイチンゲールを自己有用感に留意しつつ読み返すつもりです。二度あることは三度あるといいますから度数の高い酒を呑んだようなヒリヒリ感がぶり返してどうでもよくなってしまうかもしれぬのですが。

話をちょっと厄介な方向へ持ってゆきます。

先ほど書いた紙上の加藤教授の答えは去年の衆院選にについての質問についての流れの中で出てきました。引用すると

毎日新聞:現代に話を戻すと、去年の衆院選をどう思いましたか?

加藤さん:若い世代の4割が自民党支持とされていますが、体制支持というより、当選しそうな人に投票して、当選すれば「正解した」と、ほっとするのだそうです。

温さん:正誤の基準は、多数派かどうかなのですね。

という問いと答えがあり、続けて新聞社側からなぜそんなにも「間違えたくない」のでしょう?という問いに対して(以下、繰り返しの記載になるのですけど)「日本の若者は自分が役に立たないと感じるほど自分に不満か傾向がある。この自己有用感の低さが関係するのではないでしょうか」と回答しています。私は二次不等式をやってますから世の中には解なしだってありえるじゃないかと考える程度にひねくれてる上に若い世代でないこともあってその語句が脳内に無い上に自己有用感的なものとは無縁で、加藤教授の説は斬新かつ腑に落ちるものでしたって、わたしのことはともかく。引用した加藤説温説が仮に正しかったとしたら、正解当てゲーム・多数派当てゲームで世の中が動くことになるのでそれはちょっと怖いなあ、という気が。そしてそれが自己有用感の低さに関係するものであるのならば、なんでそうなってしまったのかを含め、解かねばならぬ課題は山のようにある気がしてならぬのですが。加えて正誤の基準が多数派≒他人と共通してることが重要、ということであるのならば、なんだろ、以前読んだことのあるラノベそのもので、ちょっとフィクションであって欲しい・事実は違ってほしい、と思っちまうところがあります。

話をもとに戻すと、何かを読んでそれで得たものを過去の読書体験に代入することで過去に読んだ本を改めて理解するってことってないっすかね。私はたまにあって、もう一度読み返そう…ってなって、読みたいけど読めてない本が貯まっちまうのですが。