甘辛い味の店2つ

以前書いてると思うのですが20年以上前に社会人になって放り込まれた大阪で、うどん屋に入ったときに「しのだうどん」というメニューが最初わかりませんでした。会社の先輩に訊いて油揚げの載る「きつねうどん」と知りました。でもなんで「きつねうどん」が「しのだうどん」なのだろうと深くは追究せずにいました。そのあと阪和線信太山駅というのがあり「しのだ」と読むことを知ります。そこでやっと葛の葉を想起し「しのだのキツネか!」と悟ります。「友がみな我より偉く見ゆる日よ」ってありますが「同僚がみな我より賢く見ゆる日よ」であったので、云ったら私はバカです、って白状するようなものなので誰にも言えませんでした。

くだらないけど続けます。

志乃多寿司という店が人形町や浅草にあります。太巻きや押し寿司や稲荷寿司を扱う店で、稲荷寿司の油揚げは甘辛い味つけです。10年くらい前に稲荷を食べながら、あれ、これも稲荷でキツネつながりの「しのだ」か?と気が付きます。小さいころから知ってる店にもかかわらず、そこではじめて志乃多の由来を悟ります。でも私はバカです、って白状してるようなものなので、やはり誰にも言えてません。匿名をいいことにこんなふうにネットで書いています。ビバ!インターネッツ!!ってくだらないことはさておき。

はてな今週のお題は「好きなお店」です。

美味しいと思えるのは私は記憶と思い込みが何割かあると思っています。志乃多寿しの油揚げは甘辛い味付けと書きましたが、甘辛い味付けが身近であったので甘辛い味付けけを美味しいと思い込んでるところがあります。なので私は志乃多寿司も好きであったりします。でも万人受けするかどうかは判りません。

もうひとつ挙げるとすると弁松です。

折詰のお店で、ひらたく言えば弁当店かつ惣菜店なのですが、惣菜はやはり甘辛い味付けです。卵が苦手なので玉子焼きについては何も言えませんが玉子焼以外は絶品です。ただ、完全に好き嫌いがわかれる味付けです。万人に受ける味ではありません。でも私は好きです。

他にも好きな店はあるのですがこのご時勢なので、テイクアウト主体の甘辛い味の店を二つ挙げてみました。ただ二軒とも江戸東京の庶民の味を引き摺っている店でもあるので、江戸を舞台にした小説などを読んだ後だとその世界に浸れること請け合いです。

疫病下の法要

私は不真面目ながら根っこは仏教徒で勤行をほぼ毎日しています。7月には施食会という法要があるのですがここ二十年近くほぼ毎年参列しています。参列と云っても出家してるわけではないので(私が属する宗派は住職のことを方丈と呼ぶのですが)方丈さんのほか同じ曹洞宗の僧侶が二十人近く集まって甘露門といわれる経などを読むのを堂内で合掌しながら聞いたりするくらいです。ただ大人数での読経は知らず知らずにつばが飛びますし、プラスして御詠歌を詠う方が十人くらい、さらにわたしのような檀信徒が五十人以上堂内に居るので(真言宗的な意味ではない)三密にどう考えてもなります。なので「ソーシャルディスタンス」なんて言葉を聞いてからさて法要をどうするのかな、と思っていたのですが。

手紙が来ていて施食会の法要はするけど山内関係者に限定して、という連絡で、このまま収束してくれればいいのですが7月の神奈川がどうなってるかわからないし、そりゃそうだよなあ、と理屈は理解はできます。

毎年のことであたりまえのように身体に染みついた行事だったので、なんだろ、理解してもらえにくいかもなんすけど、理屈でないところではちょっと言葉にしにくいのですがいちばん近い言葉でいうと「残念だなあ」というのがぬぐえなかったり。

言葉による攻撃の耐性の弱さ

「メールとかメッセージってさ、ぐさって刺さるんだよ」

前を向いたまま、咲太はいつもの調子で口を開いた

「…?」

「かえでがいじめに遭ったときさ…、カウンセラーの先生が教えてくれたんだけど、人って目からの情報が八割で生きてるんだってな」

鴨志田一青春ブタ野郎はロジカルウイッチの夢を見ない・P249)

 この1年近くくり返し書いている青ブタ=青春ブタ野郎シリーズの中にはSNSの問題が何作かにわたって出てきます。主人公の梓川咲太の妹である楓(かえで)は横浜に住んでいた時にSNSで中学の同級生に心無い言葉を浴びせられ病を得、兄と妹で藤沢に越してその新しい境遇の中で理解を示す周囲に馴染んでゆく顛末が物語の(特にアニメにおいては)重要な要素になっていますって、前にも書いたかもしれません。

話はフィクションとはいえ勧善懲悪というほど単純ではありません。横浜時代の楓にSNSで心無い言葉を浴びせた楓の同級生たちは事件発覚後に今度は別の生徒たちに心無い言葉をSNSなどで浴びせられて学校に来なくなったことを咲太の居場所を知った楓の友人だった幼馴染が咲太に報告します(「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」)。

これらのエピソードで作者が何を云いたいのか?とかはテストの返答ではないのでここでは書きません。が、読んでいて、人はもしかしてSNSにおいては意図せず攻撃性が露になるのではないか、そして人は言葉による攻撃の耐性は弱いのではないか、とは思いました。とはいえラノベ・アニメ・フィクションですから深くは考えていなかったのですが。

フィクションを読んでいたあとに・深くは考えていなかったあとに、詳細は深くは知らぬもののSNSで中傷を受けていたプロレスラーの自死の報道を新聞で知りました。フィクションの感想を現実の事件に重ねるべきではないとは知りつつも、人は言葉による攻撃の耐性に弱いのではないか、とは思っちまいました。

あらゆる意見や情報に触れて人は思考を形成するので言論の自由ともかかわってくるので非常に書きにくいのですが、基本的になにを書いても自由ではあるべきだと思いつつ、もし人が言葉による攻撃の耐性に弱いのだとするのなら、人の命や尊厳よりも大事な言論の自由はあるの?とも思うので、SNSなどでも相応の規制ってもしかしてあった方が良いのかな、とか思考が暴走しつつも、考えはまとまりません。

ただ私はじょしちゅうがくせいなので…じゃねえ、言葉による攻撃の耐性は強い方ではない(はずな)ので、SNSとは深入りせずうまく距離を置いた方が良いのかもしれぬな、ということはなんとなく察しました。

群馬のジャムを買う

鼻からの出血が先月の一時期止まらなかったことを書いた記憶があるのですが、そのときいまは紹介状が書けないので万が一に出血が止まらなかったら耳鼻科の治療をやってる大規模病院へ救急車で行け、とドクタに言われていました。実際には薬が効いて行かなくて済んだのですが、耳鼻科の治療をやってる近くの大規模病院を念のため検索してはいて、その病院が感染症対策用のフェイスガードが尽きつつあり、病院で自前で3Dプリンタを買って自作してるもののそれでは追い付かないので持ってる人は作って持ってきて寄付してほしい、と呼び掛けてるのを目にしました。おのれの鼻以上に事態は深刻であることは理解でき、なので早速3Dプリンタがいくらするのか・シロウトでも扱えるのかを検索しはじめました。どうせ10万円入るならつぎ込んでもいいかな、と思ったのです。そこに鼻血を心配した不要不急の電話が彼氏から掛かってきて「そんなもの買ってあとでどうするつもりか」と忠告され、買ってはいません。って冷静でないわたしの話はともかく。いまは400個ほど集まってて受け入れを中止しています。3Dプリンタに充てなかった10万円はいまのところ使途を決めてません。というか、申請用紙もまだ未達で、取らぬ狸の皮算用なのですが。

今回の新型コロナがどれほど経済に影響を与えたかの言説は専門家に任せるとして

10万円の使途は未定でも、それをあてにして地方の産品を買ったほうが地方の経済のために良いのではないか?と直感的に考えて・無理やり理屈をつけて、手始めにいつもと違う見知らぬ群馬の農協のりんごジャムを退勤時に買いました。しばらく朝はこれで楽しむ・乗り切るつもりです。

今日の段階で緊急事態宣言は東京でも解除の方向へとなりはしたものの、第一波のあとに第二波が来た北海道の事例を眺めてると東京も第二波がやってきても不思議ではないと考えています(この予想、外れてくれると嬉しいのですが)。なので個人的にはマスクも手洗い励行も続けるつもりです。

先行きが見えない社会における「正しさ」

あ、またか、という話をします。私は大学の英語でマクベスをやりました。最初のほうに有名な「Fair is foul.foul is fair」のという魔女のセリフがあります。辞書をひけば「きれいはきたない」とかなんとなくの訳ができてきます。多少のネタバレをお許しいただきたいのですが、物語は「王に対する血が流れた反逆」がまた別の新たな「王に対する血が流れる反逆」をよびます。同じ王殺しでも殺された王の息子が関係すると読むほうの印象はまったく異なります。物語を通して考えると魔女のセリフは日本語の意味する「きれい」とか「きたない」という単純なことではないのではないか、意味的には殺された先帝の息子の王殺しは「正しい」=「人殺しで邪悪」とかそんなふうにも読めないこともないので、「きれい」「きたない」が妥当とも思えないようになってきました。英語の訳は横に置いておくとしてマクベスを読んだことで善悪というのは見方によって逆転するのではないか、ということを察しています。以降「正義」とか「正しさ」的なものにかなり懐疑的になっています。

いつものように話は素っ飛びます。

家に居るように呼びかけられてる社会で私は勤務先の都合で手洗い励行マスク着用の上で出社しています。それについて住んでる街で顔見知りの人に何か言われたことはありません(影でどういわれてるかはわかりませんが)。営業を継続したり他県へ移動する人も私のように何かしら仕事の事情があるのでは、とか思っていました。しかしあちこちで営業の自粛をしなかった店舗への脅しであるとか他県ナンバー狩りの動きを知って、それらの動きは「ちょっとおっかない」と感じていました。と同時に、多数と異なる動きに対しての批判や糾弾する原動力ってなんだろう?という疑問がうっすらありました。

でもって、23日付毎日新聞東京版夕刊に真宗大谷派の僧侶(玄照寺・瓜生崇住職)の方のインタビューが載っていて、PCR検査などに関して力強く明確なメッセージを発する人がメディアで重用されることを含めてこのコロナ禍の社会の動きに関して

敵をはっきりし指摘し、圧倒的な正しさで導いていくという構図を作るのです。人間は先行きが見えなくなったとき、「正しい」メッセージにひかれ、依存していきますが、その表れでしょう。自粛警察なんていう話も聞きますが、正しいことをして人を救うことで自分の存在を確認したいのです。

カルトにはまる人の心理も同じです。自分がこの先何が正しいのか分からず迷いながら死んでいくことに耐えられない。

 と述べてて、先行きがわからないから「正しい」とされるものにひかれ、正しいことをすることでおのれの存在を確認をする、というのは、持っていた疑問の解としてはとても腑に落ちると同時に目からうろこでした。おそらくマクベスを読んで「正しさ」に懐疑を持たなかったら・「正しいというものなんて存在するの?」的な思考に陥ってなかったら、いまごろは正しいと思うものに熱中して、もしかしたら自粛警察の一員になってたかもしれません。文学に救われた!とまでは言いませんが、原文を前に辞書を片手に苦労した甲斐があったかな、的なことは考えちまいました…っててめえのことはともかく。

記事では迷いや不安を是認することの大事さも述べていたのですが、その迷いや不安が今の世の中ではどちらかというとネガティブなものと捉えられがちのはずで、そのネガティブを消去するために「正しさ」にひかれる人が出てくるのかもしれず、だとすると、わりと根は深い気が。

私はわりと「正しさがなかったら死ぬの?」的なノーテンキで生きてきたのですが、なんだろ、大げさかも知れぬものの、「正しさ」の見えてなかったおっかない部分を23日の夕刊で改めて思い知った気がします。

いつか行く旅の計画

肩こりがひどかったとき、温泉で肩こりがなんとかなるわけではないけど「温泉に行きたい」と思ったことがなんどかありました。退勤時に地下鉄に揺られながら「日帰りでもいいからなんとかならないだろうか」と考え、完全に県境を越えますが小田急線に箱根湯本の日帰り温泉施設の広告があったよな…と思い出し、行く行かないは別として検索してみたものの、東京と同じく神奈川も緊急事態宣言が出ていますから休館中でした。下手の考え休むに似たり。そりゃそうだよな、と諦めています。

はてな今週のお題が「遠くへ行きたい」なのですが、緊急事態宣言が解けたら遠くじゃなくてもいいので温泉に行きたいです。

遠くじゃない山梨には富士五湖地方も甲府盆地も温泉が出るうえに

試飲のできるワイナリーがいくつもあります。いつ行けるかわかんないけど、旅の計画の相談だけはそろそろするつもりです。

戸籍という変わらない制度

民法の739条の1項に「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」とあります。だからなんだと云われそうな条文なのですが、「戸籍法の定めるところにより」と別の法律に丸投げしているところがちょっと特殊です。不動産の物件の変動及び変更に関して定めた民法177条には不動産登記法が出てくるのですが、戸籍と不動産登記は明治期に旧民法が成立する前から存在して深くいじれないので、民法の条文上はそれぞれに丸投げしている格好になっています。

戸籍は長州藩にあった制度でそれを明治新政府が採用して全国展開しました。明治四年に戸籍法ができて、翌年に戸籍ができて、それを通称壬申戸籍といいます。戦後家督相続の廃止であるとか民法の改正によって変わったところはありますが、基本は変わっていません。たとえば自治体に「届け出る」制度です。「届け出る」ことをしなければ基本は何も変わりません。ですからなんらかの事情で誰も「届け出る」ことがなかった死体が生き返ってゾンビになった場合、そのゾンビは書類上は死んでいないので戸籍がある第三者との婚姻も離婚も養子縁組も可能なゾンビってことになりますって冗談はさておき。

真面目な話を書くと戦時中、広島市では米軍の空襲に備えて比治山に戸籍を移動させてピカドンによる焼失は免れているのですが、ピカドンの結果家族の誰も生き残ることができず、かつ、誰も届け出る人が無く、その結果生存していないと考えられる人が戸籍上は生きてることになり、広島市と広島法務局が協議して戸籍を職権で抹消した事例はあります。が、基本は「届け出る」ことが前提で、自治体に強制的に調べる権限がありませんし抹消できる権限も本来はありません。戸籍は相続に必要書類で財産的権利を支える大切な記録でもあって、自治体側が勝手に安易に抹消するとトラブルのもとになりえるからできないです。なお311のときに自治体の役場が被災する事例がありました。現在戸籍の正本を自治体で保存し、副本を法務局で保管する運用ですが、そのときは法務局の副本を利用して被災した自治体の戸籍の再製作業を行っています。

わたしが問われたわけではないのは承知してるのですが、☆を頂いた方から不動産登記簿と異なりなぜ戸籍は取りにくいのか、なんでや?というのがありました。くり返しになりますが、戸籍は届け出を含めて明治期から続く古い制度が基本継続しています。いじっていません。1994年から電算化が進んではいるものの、自治体ごとの従前の戸籍の事務処理をコンピュータ処理してデータベース化してるだけです。全国のネットワーク化を図るオンライン・システムは導入されてません。なので取りにくいのです。高度な個人情報を扱うのでプライバシー保護の観点から同じ自治体のなかでもほかの事務システムからすら戸籍系にはアクセスできないようになっているはずです。

ただ、改善の動きはあります。さきほど戸籍について自治体に正本があり法務局で副本を保管しそれが被災した自治体の戸籍複製に役立った、と書きました。その副本を持つ法務局を管轄する法務省のシステムをネットワークでつなぎ、どの自治体でも戸籍をとれるようにするように去年、戸籍法を改正しています。運用開始予定は2024年で、ちょっと先なのですが。

ちょっとくだらないことを。相続における戸籍は生まれてから死ぬまでのすべてが必要になります。死んだ父は墨田区台東区に架る厩橋のあたりで産まれた、というのは聞いてはいました。念のためそこも探そうとしました。でも橋の名前は別として厩橋なんて地名はいまはありません。台東と墨田のどっちで産まれたのかもわからなくて、やむを得ず墨田区台東区の2つの区役所へ行ってます。「電話して訊けたらなあ」なんてことを考えたのですが、親が死んだあとってわからないことに直面するとそう考えちまうことってありませんかね。ないかもですが。