最近の愚行(ほうじ茶について)

数年前に十二指腸潰瘍をやったことがあります。そのときカフェインは症状を悪化させると知り、しばらくコーヒーを止め代わりに飲んでいたのがほうじ茶です。なおあとで知ったことですがほうじ茶とてカフェインがゼロではありません。ですがコーヒーよりマシなものとして挙げられていて、そのときはそれを真に受けていました。

最初はヨーカドーで売ってるような安いやつだったのですがその後山本山(という茶を商う店が日本橋にあってそこ)のほうじ茶に変えてみたら確実に味と香りが違い、違いのわかる男になってしまって以降は治癒するまで山本山のほうじ茶を買うようになりました。

治癒したあとはコーヒー(主にキリマンジャロ)を復活させていますが、こんどはほうじ茶を断てなくなってしまい常備するようになっています。

ここではてな

お題「好きなお茶の種類」

を引っ張るとほうじ茶で不幸なことに(…不幸なことに?)舌が慣れてしまったせいか値段が安いものに戻れずにいて

最近は京都の玉露や煎茶で有名なところのほうじ茶を買って淹れています。

食料品を筆頭に物価が高騰しているのは百も承知で、財政厳しき折、かようなぜいたく品を買うのは愚行だと自覚してはいるものの、「香りと味のよいほうじ茶は健康的で文化的な最低限度の生活に必要なものである」と脳内でその愚行を肯定し続けています。

鼻腔や舌で満足感を得られるお茶って麻薬のように人を愚行に走らせませんかね。麻薬とお茶を同列に並べるな、と怒られそうなのでこのへんで。

クズについて(もしくは『ぼっち・ざ・ろっく!外伝廣井きくり深酒日誌1』を読んで)

『ぼっち・ざ・ろっく!外伝廣井きくり深酒日誌1』(原案はじまあき・マンガくみちょう・芳文社・2024)は数年前に放映されたアニメの『ぼっち・ざ・ろっく!』に出て来た廣井きくりさんに焦点を当てたスピンアウト作品で、『ぼっち・ざ・ろっく!』を未視聴未履修でもそれなりに読めます。面白かったです!で済ますのがもったいないのでいくらか書きます。いましばらくお付き合いください。

いつものように幾ばくかのネタバレをお許しください。バンドでベースとヴォーカルを担当する本作の主人公廣井きくりは第一話では横浜でライブをしていたにもかかわらず打ち上げ後に目が覚めると終電後の金沢八景で、そこから物語がはじまります。もう幾ばくかのネタバレをお許し願いたいのですが廣井さんはテクニックはあるし歌唱力もあるものの題名にもあるようによくいえば深酒気味、悪く云えば本作の中の言葉を借りれば「どうしようもない酒クズ」です。終電後の深夜の金沢八景でどうしたかはキモだと思うので是非本作をお読みいただくとして。

主人公である廣井さんは「クズ」のひとことでは言い表せない部分があります。本作では廣井さんが感心したように同性の胸が大きいことを触りながら褒める描写があり、つまるところ「どうしようもない酒クズ」どころかおとなとしてはいくらか常識外れです。ただ最初から最後まで泥酔時も素面のときも建前論などを含め裏表が一切ありません。なので触られたほうもセクハラと注意しつつも突き放さず、金がないことや風呂に入ってないことを正直に云われれば周囲は呆れつつもそれは素麺を喰わせたり風呂を貸したり…と、廣井さんを許容します。裏表のない廣井さんを眺めていると脳内のクズ像が崩れてしまい「裏表のないクズはクズといっていいのだろうか?」とか「クズとはいったいなんなのか?」とか瑣末的でありながらも根源的な疑問を抱くに至っています。本作は人としてダメなことってなんなのか?についていくらか考えさせられる怪作です。

以下、くだらないことを。

本作では廣井さんは現実に感じているしんどさを遮断するために酒(おそらく日本盛の鬼ころし)をあおります。私はしんどさを感じたときにはそのしんどさを遮断するために料理のことを考えたり物理的に可能なら交響曲を聴いたり小説を読んだりします。ので、読んでいて偶然鬼ころしを手にしなかっただけという意識が強く、妙に親近感を覚えていました。むしろ裏表があるゆえに私のほうがクズかもしれません。そんなのが距離を置いて本作を冷静に読めるか?というと怪しいところがあります…って、どうしてそんな大事なことを末尾に書くのか、と怒られそうなのでこのへんで。

なお外伝ではないほうを視聴したときの感想はこちら↓です。

gustav5.hatenablog.com

 

どけよどけよはねるぞ

いつものようにくだらないことを書きます。

視覚はまぶたの筋肉を使いますが耳からの聴覚というのは障害が無ければさして運動機能を必要とせず、なので意図せず耳に入ってしまうことがあります。それを巧く利用したのが警笛で、警戒してもらうためにわざと鳴らすことが無いわけではありません。会社によってはメロディにしてしまうことがあります。犬山や豊橋へと走る名鉄の場合、特急や快速特急だとゆっくりと

「ミド♯ラミド♯ラミド♯ミララミド♯ラミド♯ラ」

と鳴らしながら駅に入ってくることがあります。名古屋にいた頃に社の先輩が

「どーけーよーどーけーよーはーねーるーぞーどーかーにゃはーねーるーぞー」

という意味であると解説してくれたことがあり以降どけよホーンと個人的に名付けていますが、ほんとにミド♯ラからはじまるメロディが「どけよ!」という意味なのかは不明です…ってそんなことはどうでもよくて。

去夏、東岡崎というところまで久しぶりに名鉄に乗る機会があって、ホームで待っているとかつてよく聞いていたどけよホーンがやはり意図せず聞こえてきました。次の瞬間、およそ20年前の名古屋にいた頃の記憶、たとえばその頃の夜遅く残業しながらどん兵衛をすすっていた記憶などが湧いて出てきていて、どけよホーンをきっかけにそのときいくらか感傷的になっていました。

はてな今週のお題「懐かしいもの」を引っ張ると過去に耳にした名鉄の警笛の音≒どけよホーンがまず思い浮かびます。ただどけよホーンはおよそ20年前と全然変わらないいまでも現役のもので誰もが「懐かしいもの」というか怪しいです。でも懐かしいという感情は個人の経験に由来して引き起こされるものではないかな、という気がしてならなかったり。そんなことないっすかね。ないかもですが。

歴史は韻を踏む

今月に入ってから『時刻表昭和史』(宮脇俊三・角川文庫・1997)という本を読んでいます。著者の自己形成の過程を戦前戦後の時刻表を軸に記述した私小説っぽい本で詳細は本書を読んでいただくとして、時刻表が軸になっているのは著者が無類の鉄道好きでそれらがいくらか肩の力を抜きながら読める効果を担ってるものの章を重ねるごとに戦時色および敗戦色が強くなってゆきます。脇道にそれて恐縮なのですが、著者の父上が元軍人でありながらも軍が政治にかかわることに批判的で、いわゆる「翼賛選挙」で非推薦となり落選する過程も数行ではあるものの触れられています(第8章)。恥ずかしながらこの本を読んで非推薦となった候補が「ポスターは破られ、演説会は妨害され」(P140)ていたことをはじめて知りました。

話はいつものように横に素っ飛びます。

この文章を書いてるヤツは品が無いうえに知性のかけらもありませんがいちおう大学は法学部(自称あほうがく部)卒です。法学部は憲法を学ぶことになるのですが、言論の自由表現の自由に付随する説明で「各種の情報や表現を制約なく受け取り・知ることにより人格形成に資する」という趣旨の一文に接してます。つまるところあらゆる情報にアクセスすることができる状態こそが憲法の予定するところであったりします。先日の東京の補選である陣営が選挙期間中に他陣営の演説中に大声をあげて妨害をしていた、もしくは演説会場を事前に告知するとそこで当該陣営がやってきて大声があがるゆえに事前に演説会場を告知できなかった、という報道がありました。それらは選挙民が演説を聞く機会を失うわけで(≒各種の情報や表現を制約なく受け取ることができないわけで)けっこう危機的な状態です。選挙の自由の妨害にあたり結果としては警察が動いたのですが、上記の本を読んだばかりなので妙な既視感がありました。もちろん戦前の翼賛政治体制協議会は半官半民で、今回は半官半民ではない泡沫政党による妨害行為ではあるのですが。

さらに話は横に素っ飛びます。

朝めしを作りながらであったので番組名は覚えていないものの連休中に歴史家の磯田道史さんがNHKの番組でインタビューを受けていたのを耳で聴いていて、歴史をひもとくと全く同じものが繰り返されているわけではなく、らせん状に戻りつつ少し位相を変える、歴史は韻を踏む、という趣旨のことを述べていて妙に印象に残りました。考えすぎかもしれぬものの、東京の補選の事件の報道を知り改めて振り返ると、磯田説の補強というか翼賛選挙が韻を踏んで再登場し、歴史が韻を踏んでいる現象を目撃してしまったのかな感があったり。

さて、くだらないことを。

上記の本は食べ物に関する描写も多いです。第8章では石英の鉱山へ行く著者の父上が札幌へ向かう列車の中で将校と怒鳴り合う事態になり車内がとげとげしくなる描写があるのですが、鮭フライのある食堂車で食事をしたあとにはお互いそれがいくらかおさまった旨の描写もありました。人はひもじくなると余裕がなくなるのかもしれないのですが、かりに磯田説のように歴史が韻を踏むとして、願わくば食糧難だけは韻を踏んでほしくないかな感があったり。

歴史や政治の話は詳しくないのでこのへんで。

洗濯科学の限界(もしくはドクダミ対アリエール2024)

住んでいるところは数年前からドクダミが自生しはじめています。月2回ほど落ち葉等の収集の日があって引っこ抜く作業をするのですが、ドクダミは独特のにおいがするのでヨレヨレの軍手等を利用しています。CMでは洗濯科学とか勇ましい語句が並びますが某社の洗剤はドクダミの匂いには勝てません。ので、そのまま燃えるゴミへ出しても惜しくないようなものを作業の時には充当していて、今年も引っこ抜いたあとにヨレヨレの軍手をそのまま捨てています。洗濯機には入れませんでした。

そこまではよかったのですが。

処方されている点眼薬の副作用があるので朝夕かならず顔を洗うのですけど、帰宅後に洗顔後に顔を拭いたタオルからうっすらとドクダミの独特の匂いががががががが。

ドクダミを引っこ抜いたあと軍手を捨て石鹸で手を洗った後にペーパータオルで拭けばよかったのにタオルを使ってしまったのがおそらくの敗因かなあ、と。やはり今年もアリエールはドクダミには勝てぬようで。とりあえずその1枚だけなのですが、週末にお湯でにおいを消す予定です。

匂いに敏感ではなくてもタオルがいつもと違うとなんとなく敗北感をおぼえませんかね。そんなことないかもですが。

2024年5月の新宿駅西口

渋谷駅は東横線が地上にあったころはそれほどでもなかったのですが、東横線が地下深くに入ってしまったあとに駅が複雑になった印象があって東横線から井の頭線に乗り換えようとして歩いても歩いてもなかなかたどり着けずほんとにダイジョウブなんだろうか?と不安になった経験があります。が、不思議と迷ったことはありません。

新宿駅も構造が複雑です。通勤に使う駅ではないものの、小さいころから藤沢や小田原へ行く小田急線に縁があったこともあって、迷ったことはありませんでした。過去形で書いたのは恥ずかしながら今年に入ってから一度、小田急線からJRに乗り換えようとしてJRの改札口に一発でたどり着けず、迷ったのです。ゲームをやらないのでダンジョンという言葉をちゃんと理解しているか怪しいのですが迷路に似た構造を持つ空間を意味するダンジョンといったはずで「ああこれがダンジョンというやつか…」と、いまさらながらに理解しました。言い訳をすると小田急線の新宿駅が現在工事中で、以前と異なっていたのが敗因です。

さて、日曜に新宿に出た折に地上を歩いて知ったのですが

以前あった小田急百貨店の本館が小田急新宿駅の工事に関連して取り壊され、遮るものが無いので東口のビルが見えていて、なんとなくもの珍しく思えたのでスマホを構えていると見知らぬ人が「今度はアルタも無くなるらしいですよ」と云って去ってゆきました。そばに居た彼氏が笑いを堪えていて、どうもお上りさんと勘違いされたのに気が付いたのですが、でもこの眺めいまだけだと考えると撮りたくなりませんかね。ならないかもですが。

話を元に戻すと地図が書き換わる瞬間を眺めることが出来るのは興味深い…と感じます。しかしそれよりもなによりも新宿ではしばらくは迷って遭難しないように注意しながら歩く予定です。

人生相談を聴くには向いてない性格

いつものようにくだらない話を書きます。

計画停電とか節電要請があったころタクシーで目的地から動いているJRの駅へ移動してるとき車内のラジオがかかりっぱなしで、いまとなってはどの放送局のなんという番組かもさっぱりわからないのですがそれが人生相談のような番組で、その番組内では相談者曰く「奥さんが突然消えてどうしていいのかわからない」というようなことを最初は訴えていました。最初はとかいたのはその奥さんが経理を担当していたらしく途中から「経営している会社の行く末も不安で」という方向も加わって、途中から人生相談のようで人生相談とは異なるような様相になっていったからです。それらに対して番組がどう答えたのかはJRの駅に着いてしまったので聴いていません。ただ、その人がなにを考えているのか?どうしたいのか?がさっぱりわからず正直イライラしてきて、いくらか主語が大きいのですが

人は我が身に起きたことを簡潔に他人に説明することが出来ないことがある

ということと

なにかを云っているけど自分の考えがそこにないとイライラする

場合があるということをメモをしたことを覚えています。やけに印象に残ったのです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

その数年後に偶然チャンネルを合わせていたNHKテレビで阿川佐和子さんとふなっしーの対談を放送していてその中で

ふなっしー「人に対して興味を持って聞くっていうのはすごい難しいことだと思うなっしな」
阿川「みんな自分の意見を主張しないと相手に理解してもらえないと思っている人が多いらしいんだけども、実は、人間は、自分の話を聞いてほしい人の方が多いと思うの」
ふなっしー「あ、あ、そうなしな。特に女性はそうなしな」
NHK総合・SWITCHインタビュー(阿川佐和子×ふなっしー

というようなことを阿川さんとふなっしーは語っていました。阿川さんの

実は、人間は、自分の話を聞いてほしい人の方が多いと思うの

という説を知って上記の人生相談のラジオを想起して、ああ、あの相談者は自分の話を聞いて欲しかったのだな…と、腑に落ちています。イライラしたおのれを恥じたのと同時に、イライラした事実を前に人に興味を持って話を聞くというのは難しいなっしな…と改めて考えさせられ、脳内に梨汁が満ちてるのかどうかは別として私は人生相談をラジオで聴くには向いていないことを痛感しています…ってはてな今週のお題「ラジオ」を引っ張ったはいいけど、なんだかラジオと関係がありそうであまりなさそうな毒にもクスリにもなりそうにないことしか書けないのでこのへんで。