春は揚げ物

日曜は小田原に居ました。

桑田佳祐さんの曲に金目の煮つけというのがありますが桑田さんの地元の茅ヶ崎を含む相模灘では金目鯛が獲れます。他にも(押し寿司や干物になる)アジや(小田原おでんのつみれになる)イワシのほか、カマスも獲れます。ただカマスはやはり干物や塩焼きしか知らず…というかそれしか食べたことがありませんでした。

屋台でカマス棒というものを見つけ「春は揚げ物というし…」というくだらない理由で実食してます。カマスを棒に刺して揚げたもので、醤油かソースを選べます。俗にカマス焼き喰い一升メシというくらいにカマスにはごはんが進むような不思議な味がありますから当然フライでもイけて、ソースや醤油なしでもなんとかなりそうな気はするものの、ソースをかけても美味かったです。見知らぬものを前にして好奇心に引き摺られて失敗することがあるのですが、今回は巧くいったかな、と。

でもって不思議と骨がなくどうやったらそうなるのか謎で

看板には「小田原名物!北条一本抜きカマス」とあってああ北条家にまつわる秘法でもあるのかなと一瞬想像したのですが、残念ながら(…残念ながら?)数年前に中骨を抜く器具を独自に開発して特許も取得したそうで(≒つまり北条はあんまり関係なさそうなのですが)。骨が無いことについて腑に落ちてます。

以下、くだらないことを書きます。

腹ごなしに御幸浜を散策していて、しかしこの日の小田原は南風強く波高め。画像は近づきすぎて慌てて逃げる数秒前で

このあとなんとか逃げおおせてます。最初から近寄らなきゃいいのですが、海って眺めてると近寄りたくなることってありませんかね。ないかもですが。

出遅れ

コロナ禍の第4波のあたりで『感染症の日本史』(磯田道史・文春新書・2020)という新書を読んでいます。本書はスペイン風邪にかなりページ割いていますが麻疹についても触れられていて磯田先生は「麻疹が歴史を動かした」と主張し、幕末の文久2年(1862年)に長崎にやって来た異国船から麻疹がつたわる→4月に長崎警護を担当していた佐賀藩の藩主が罹患し(P122)→移動する修行僧によって江戸へもたらされ6月には小石川の寺院がクラスターとなり市中にも感染が拡大(P119)→京都でも商業地から御所周辺に拡がり天皇の身のまわりの世話をする公家が次々と感染し出仕できなくなり→御所も当然人手不足気味に→孝明天皇が閏8月にあらためて攘夷を強く意思表示する(P128)という経緯をそのひとつとして紹介しています。

話はいつものように横に素っ飛びます。

麻疹は罹患すると免疫抗体ができるほかワクチンで防ぐことができます。私は麻疹に罹患したことがありません。ので、ワクチンということになるものの、世代的にはおそらく1回は受けているはずなのですが、記憶がありません。

idsc.tmiph.metro.tokyo.lg.jp

都庁のHPを眺めるとどうも2回接種が主流のようで、住んでいる街の病院のHPを参照すると小児向けは別として昨夜の段階で「成人用は既に底を尽いていて受付できぬ」という告知が出ていました。忙しさにかまけててどうも対策に出遅れた模様です。あははのは(もしかしたら笑いごとではないかもしれない)。

話を元に戻すと、ある一定の世代はワクチンを2回打っている人も多く今回の麻疹が「歴史を動かす」ことはないかな、と想像します。ただ最初に読んだときは「ほほう」程度ではあったのですが、感染力の強さを新聞等であらためて知ると肌感覚としては「そりゃ攘夷をいいだすのはやむを得ないかな」感があります。さすがに攘夷は唱えぬものの、麻疹は手洗いやマスクだけでは防げぬようで個人では限界があるゆえにちょっと怖さはあったり。かといって怖がるだけではなんのプラスにもならないのでワクチン接種のチャンスを狙いつつ、しばらくいつもと同じ生活を維持する予定です。

同性2人の婚姻届不受理に関する札幌高裁の判断についての雑感

家族法に関しての、すっごくめんどくさい話を書きます。しばらくおつきあいください。

婚姻に関する法律は民法にあり、しかし民法の婚姻の条文をいくら読んでも近親婚の制限や重婚禁止などの規定があっても同性同士の婚姻について禁止する条項がありません。ですが不思議なことにできません。というのは婚姻の効力について規定のある739条に「婚姻は戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることでその効力を生ずる」というのがあり、現行の民法より先に戸籍制度があったのでそれをそのまま利用していて、つまるところ民法の婚姻に関する規定は戸籍法等にもたれかかる構造で、その戸籍法等が男女2人の婚姻届提出を前提にしているので、できない側面があります。正確に書くと戸籍法の細かい部分を定めた戸籍法施行規則の付録目録第12号に婚姻の届出に関する様式が定められててそこには父母との続柄欄に片方が男、もう片方が女とあるので、どちらかが男でもう一方は女である2人を想定してて、同性二人ではそこに記入不可ですから届出しても受理してもらえません。同性のカップルがもし法的利益を享受するために同じ籍に入るとしたら現在の唯一の手段は一方が親、もう一方が子になる養子縁組です。でも同性のカップルは親子になりたいか?といったらそんなことはないはずです。

婚姻に関して戸籍法と民法のほかに憲法に留意する必要があります。憲法24条に

24条1.婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない

2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

というのがあってその語句を素直に読めばおそらく「両性の合意」では確実にない「同性2人の合意による婚姻」は憲法は想定してないのではないか、と思われてました。というかあほうがく部を卒業しくたびれたおっさんになったわたしも最近まで思っていました。

でもなんですが。

夫婦別姓に関する訴訟(最判H27・12・16民集69巻8号2586頁)で、この24条について「婚姻は当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨である」と最高裁判決理由中で述べています。この最高裁の趣旨を基にすると24条が「婚姻は当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられてる」規定であるならば両性という語句に囚われる必要はないわけで、ゆえに同性婚を否定したものではない、とも解釈できないこともないのです。だとすると、民法がもたれかかる戸籍制度および戸籍法施行規則によって婚姻が事実上異性間2人のものに限っている実情は

第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない

法の下の平等を定めた語句を持つ憲法14条に違反するのではないか?という疑問が生じます。(夫婦同姓に関する最高裁判決理由が十中八九ターニングポイントになったと思われるのですが)夫婦同姓の訴訟以降、14条と24条に関連して同性2人の婚姻を認めない民法戸籍法等は違憲ではないのか?という訴訟が各地で提起されています。

めんどくさい話を続けます。

先行した(2021年3月17日の)札幌地裁では「同性愛者が婚姻によって生じる法的利益の一部すら受けられないのは合理的根拠を欠いた差別的扱い」として14条の法の下の平等について違憲と述べ、24条について婚姻は両性の合意のみに基づくとの規定は「婚姻は両性の合意のみに基づくとの規定は、両性など男女を想起させる文言が使われるなど異性婚について定めたもの」と解釈し(つまり夫婦同姓のときの最高裁の解釈をそのまま同性婚にはあてはめることはせず)、同性二人では婚姻届けを提出できない現行の制度が婚姻の自由を定めた憲法24条には違反しない≒合憲と判断しています(+立法不作為に関する損害賠償請求は棄却)。

その控訴審判決が札幌高裁でありました。

判決要旨を読む限り、まず24条について札幌高裁は「その文言のみについてとらわれる必要はなく、目的とするところを踏まえて解釈すべき」であると述べた上で24条1項は「婚姻するかどうか、いつ誰と婚姻するかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられてるという趣旨を明らかにしたもの、と解され」とし、その上で2項の「婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という条文を踏まえたうえで同性間の婚姻についても両性間の婚姻と同じ程度の保証していると考えるのが相当、という解釈をし、現行の異性間にのみ認められる婚姻の制度や同性愛者の扱い等に丁寧な検討を加えて異性間の婚姻のみ認めて同性間の婚姻を認めず代わる措置もない現行制度は憲法24条の規定に照らして違憲、という判断をしています。

ついで14条について「同性愛者と異性愛者の違いは人の意思によって選択変更し得ない性的思考の差異である」と述べた上で「性的指向に差異がある者であっても同じように制度的保障を享受すべき地位があり」「それを区別する合理的理由はない」とし、その上で同性婚を許容していない現行の婚姻制度は同性愛者は婚姻制度による法的効果を享受することが出来ず現行の制度は「合理的根拠がない」とし、さらに契約や遺言を用いて婚姻に似た一定の効果を得られるものの代替的措置によって同性愛者が婚姻できないことの不利益を解消することが出来るとは認め難いことを述べた上で、現行制度が差別的取り扱いである、と指摘したうえで「違憲である」としています。

今回の札幌高裁の判断はどちらかというと条文の文言に囚われていません。くわえて24条について「婚姻するかどうか、いつ誰と婚姻するかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられてるという趣旨を明らかにしたもの、と解され」という解釈を取り入れていて、個人的にはぐうの音も出ない程度に「よく云ってくれた」感があります。

ただ裁判官は独立しているので今後似たような判決がでるとは限りませんし、おそらく最高裁まで行くと思われます。実質あほう学部卒なのですが元法学部生として興味がある事柄で、ゆえに事態を注意深く見守りたいと思います。

ホタテのぎょうざ

社会人になって間もないころの「のぞみ」や「ひかり」には7号車と11号車に売店がありました。そこで見かけたことがあるのがおそらく酒のアテとして売っていたであろう小さいホタテの乾燥貝柱でしかし千円くらいした記憶があり、そのころは質より量で、ゆえに手を出さずというか出せずにいました。その若き日の印象が強烈で、ホタテというのは高くてどこか特別なものであるという印象が拭えません。ある程度余裕ができたいまでも、まわる寿司屋でホタテをチョイスする際も(大事なものはあとで味わいたい派なので)最後のほうに頼みます…って貧乏性の自白になってしまっているのですが続けます。

今週に入ってから小ぶりではあるもののホタテの貝柱を餃子の皮で包んだものが退勤時にいくらか値引きされて売っていて、いくらか迷った挙句に買っています。それを手持ちの葱などと一緒に茹でて(帆立からも味が滲みだすことを期待して)汁もの仕立てにしたのですが、しっかりホタテを堪能しました。

ただ残念ながらホタテの貝柱ぎょうざがあったのはその日だけで、ウマい話はそうそうあるわけではなさそうです。新聞を読んでいて供給過剰気味なのは知っていて出荷側からすると安値はあんまりよいことではなさそうですが、いっぺん味をしめてしまったので安値気味なら日頃は縁遠くて調理法は深くは知らないもののホタテそのものに手を出して冒険してみようかな…というのはあったり。うまいものって冒険心を起こさせませんかね。そんなことないかもですが。

蛭子能収著『ひとりぼっちを笑うな』を読んで

以前太川陽介さんと蛭子能収さんそれに毎回異なる女性ゲスト1人の3人が行くローカル路線バスの旅というのをテレ東系で放映していました。3泊4日でひたすら路線バスのみを利用し、著名な観光地も場合によっては素通りして目的地まで行くというドキュメンタリー的な番組でなぜか気になって、録画したものを視聴したことをここで書いた記憶もあります。その路線バスの旅では太川さんがイニシアチブをとることが多かったのですが、蛭子さんは空気を読まず云わないでいいことをわりと口にしていました。たしか広島の三原あたりでコインランドリーがあるところで泊まりたかったけど距離を稼ぐためにそれが叶わないとなるともちろん従うものの、でも若干露骨に・しかしニコニコしながらちゃんと不服を表明します。その蛭子さんの姿勢は

「空気を読むとか調和を考えることは一見よいことのように見えることはほんとは健全なことではないのでは?」

という素朴な疑問を観てるこちらにもたらしました。以降、空気を読むという行為に疑義をもつようになったのですが…って私のことはさておき。

ここで

お題「この前読んだ本」

を引っ張ります。

最近『ひとりぼっちを笑うな』(蛭子能収角川oneテーマ21・2014)という本を読んでいます。前書きに(あからさまに)書いてあるのですが本書は(おそらく路線バスの旅を視聴したと思われる)編集者からの提案で行動原理や半生などを記したもので、行動原理はかなり明快に書かれています。詳細は本書をお読みいただきたいのですが、少しだけ紹介するとひとつは孤立の肯定です。第一章「群れずに生きる」の中に自由でいるために必要なこととして

そのためには群れの中に、自分の身を置いてはいけません。なぜかって?それは、無言の圧力を感じるのは、その人が群れの中にいるからです。(P20)

という分析をしています。つまるところ、太川さんと旅をしながらもその群れの中に身を置いてる意識はないはずで、ゆえに云いたいことを云えるわけで。なぜ云わないでもいいことをいうのだろう?という謎がひとつ解けています。もちろん個人的には会社組織という群れに属してしまってるので本書を読んだところでマネはできませんしあまり参考にはなりません。ただ「そういう選択肢がある」ということを蛭子さんは上記の番組で身をもって提示してるのを目撃したわけで、ちょっと唸らされています。

また本書に唸らされた点をもう幾ばくか書くと観察眼が鋭いのです。海外へカジノへ集団で行った経験から仲間と居ると気が強くなり集団でいると人は横柄になる傾向がある(P34)と喝破し、また集団の中にいるときの個人とひとりぼっちでいる個人は差異があり、集団でいることの弊害も記されています。その観察眼の鋭さは本書にも少しだけ触れられているのですが、風俗街や競艇場での人間観察(P174およびP175 )によって養われたようで。令和になったいまは蛭子さんは病を得てしまっていますが、稀有な視点を持つその批評をもうちょっと読みたかったかな感があったり。

最後にどうでもよいことを書きます。

ここ数年、青春ブタ野郎シリーズというラノベを追っていてその中に「孤独が嫌なのではなく、みんなの輪から外れてる自分を、みんなに見られるのが嫌」「どこかバカにされたように笑われることが、なによりも嫌」(「青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない」P110・鴨志田一電撃文庫2014)と考える女子高生が出てきます。フィクションではあるもののそれを読んでから孤独の問題は周囲からの評価の問題なのではないか、という仮説を私はもつようになりました。本書では蛭子さんは個人が集団の中に入ると「自分たちのグループに属している人と、そうでない人を明確に区別するようにな」り、自分たちと他の誰かを区別することがエスカレートすると差別になり(P40)、そしてその差別的な感情は「誰かを見下したい」というネガティブな欲求と結びついてるのではないか(P41)、と説きます。先行してフィクションを読んでいたせいか妙に説得力を感じていて、と同時に、集団に属するか否かで発生する孤独の問題の厄介さと解法のなさを改めて認識してます。なお上記のフィクションでは蛭子さんと同じく「群れずに生きる」道を選択します。人生経験豊富な蛭子さんとフィクションの女子高生を同列に並べてよいのかわかりませんが、結果が同じなのが興味深かったり。

鼻腔を刺激するもの

何度か塩ラーメンごま問題というのを書いたことがあります。「塩ラーメンになぜごまがついているのか」という素朴な疑問が出発点で、でも「塩ラーメンにはごまが入ってるのがデフォルトなんですよですからそんなこと気にするほうがおかしくない?」というように、その疑問を持つほうがおかしい、っていう方向に話が行くことがあります。塩ラーメンにすら謎があるくらいで世の中には不思議が詰まってるのにそれを不思議に思わないなんてつまんない大人だよね…と捨て台詞を吐いたところでその言葉はこちらの幼児性の証明でブーメランのように戻ってきちまうのが痛いところです。

いつものように話は横に素っ飛びます。

静岡の名産にわさびがあります。旧国名では駿河に属する静岡市に田丸屋というわさびを扱う会社があって、長いことそこの製品を買っていました。同じ静岡県でも旧国名で伊豆になると田丸屋以外の製品をよく目にしてて、わりと目立つのが三島のカメヤという会社です。1月に伊豆に行った際に深くは考えずに目についたカメヤのわさび茶漬けのキットを買いました。4月にかけていくらか忙しく、即なんとかなるお茶漬けのキットはないよりあったほうが良いかな、程度の考えでした。そのときは。

ところがそのカメヤのお茶漬け、わさびのほかにいりごまが入ってて、わさびのほかにごまの香りがうっすらと鼻腔を刺激します。田丸屋の製品も美味しいのですが、お茶漬けにうっすらとごまの香りが…というのがとても新鮮で、本末転倒なのですが賞味期限が1年先なのでいざというときのために温存しておくつもりのわさび茶漬け8食分を「あれでいい」ではなく「あれがいい」というリクエストが何度かあった影響で1ヶ月程度で食い尽くしています。

2月に伊東へ行った際にとても不思議なのですが同じ伊豆でもなぜかカメヤの製品を見つけることが出来ず、代わりに他社の金目鯛の出汁の茶漬けを買っています。それもそれで美味しかったのですが、先日熱海へ再度行った際にカメヤのわさび茶漬け10食分を補充しました。いつまで持つかわかりませんが、春が来るまで乗り切れそうな気が。

話を元に戻します。

塩ラーメンごま問題は解決はしていませんが、カメヤの製品を食べて改めて理解したこととして、ごまはわさびと一緒だと鼻腔を刺激し中毒性を帯び、常習的に摂取したくなるとなることってあるのではないか、と。お前はいい歳してなにを云ってるのだ、と云われそうなのでこのへんで。

熱海起雲閣見学

熱海は温泉が出るほか、地図をご覧いただくと判りますが北西に箱根山から南に伸びる丹那山地があり、冬場の北西からの風が関東ほど強くはなく、ゆえに避寒地として適当な地です。その熱海に起雲閣という別荘から旅館を経て市の施設となった建物があり、週末にそこを見学しました。

熱海という文字をみると海の字が入っていますが起雲閣からはいまは海を眺めることができません。代わりに庭があり、その庭を口の字状に囲むように建物が建っています。さきほど別荘から旅館と書きましたが山側に最初に内田信也という船成金の実業家が大正時代に和風建築を建てていて、その部屋のひとつは麒麟の名で現存しているのですが、戦後に旅館になった時代に内装が変えられ

青漆喰が印象的な部屋になっています。旅館に転業したときの所有者が石川県出身で、加賀前田家の殿様が建てた金沢の成巽閣と同じ色使いをした、という説明で、施主の意図はわかるのですが雪が降る鈍色の空の下の加賀ならまだしもここは滅多に雪の降らない伊豆で、この青とも群青ともつかぬ部屋が落ち着くか?というと、どうなんだろう?感が無いわけではありません。ただ利点がひとつだけあって、どうもこの青とも群青ともつかぬ壁は色褪せしないらしく、メンテナンスフリーの観点からは正解なのかもしれません。

その青もしくは群青の内装以外は内田家の時代の建物は至極まともというかなんというか。ガラス戸のある縁側もあって、どこか落ち着いた雰囲気がありました。

内田家から(東武鉄道を率いた)根津家へ持ち主が変わった昭和の戦前の段階で北側に洋館が建てられていて

窓の外に見える建物が群青の麒麟のある建物で、窓の内側は根津家が建てた玉姫と名付けられている洋間に付属するサンルームです。床はタイル敷きであるほか

このサンルーム、天井は磨りガラスにステンドグラスで陽が差し込むように工夫されていて

欄間にあたる飾り窓とステンドグラスの間には唐草模様の石膏細工が施されてて洋風に振り切ってあります。見てると細かい仕事に「おお…」となり芸術作品を眺めてる感覚になるものの、麒麟同様落ち着くかというと疑問符がないわけでもなかったり。

サンルームに接続するように玉蹊と名付けられた洋間があり、暖炉もあります。洋間と書きましたが

床は矢羽根状に材を貼ってあるほか

目につく柱などの材には(手斧で表面を削るいわゆる)ちょうながけをしてあって、それがアクセントになっていて基本は洋間ではあるものの確実に伝統的な建築技法が散らかしてあります。

これらが施主である根津さんの意図なのか施工した棟梁の意地なのか遊び心かどうなのかわからないのですが、個人的には先ほどの麒麟や玉姫の洋風に振り切ったサンルームより確実に落ち着けるような気がしてならず、ああおのれの無意識の好みはカジュアルな和洋折衷なのだな、と気が付いた次第。持主ではないのに好みを書いても意味はないのですが。ほかにも

金剛と名付けられた洋間があり、洋間にもかかわらずやはりここにもちょうながけの痕跡がありました。材を加工せずそのまま、というのは許せなかったのか。ちょっと謎です。謎ついでに書いておくと、

根津時代の痕跡の一つにローマ風風呂があって、咄嗟にはどこらへんがローマ風なのかはわからず。浴槽が真ん中に2つあるのですが、浴槽が真ん中にあるのは道後温泉も同じで

出窓が和風ではないからか?とか、タイル張りであるからか?とか、謎は尽きません。いまとなっては施主や設計者の意図が読めない部分があるわけで、そこらへんが工業製品でない建築の素敵で不思議なところではあるのですが。

もっとも戦後に増築した旅館時代の近代的な大浴場の痕跡と比較するとローマ風と云えばローマかな?感が無いわけでもないのですが、ちょっと謎です。

そしておそらく戦後に建て増したと思われる部分は完全に近代的な和風旅館の内装で、もちろんそれらは一部竹を使ったり網代天井であったりけっして安普請ではないもののどこにでもあるようなありきたりなもので施主の意図はぼんやりとしていて

ので、同じ建物内で廊下を含め、麒麟のように施主や施工者の意図が確実に見える部分とぼんやりとした部分とではっきりとした差異があって、その差異が興味深かったです。

中庭は散策ができます。内田時代の建物(左)と根津時代の建物(右)で、施主が違うので、起雲閣は外観も統一性はありません。繰り返しますが時代ごとに増築を重ねてるので館内もにまとまりがありません。まとまりがありませんが、結果として見応えのある建物になっている気が。けっこうな時間泥棒な建物でした。

最後にくだらない万人受けしないことをちょっとだけ。おそらく戦後に増築したと思われる尾崎紅葉にちなんだ紅葉の間という部屋があってそこはシャレなのか壁が紅色でどこか安っぽく、思わず「なんだかラブホみたい…」と口走ってしまっています。「こんな色の部屋泊ったことあったっけ?」というツッコミに「あ、いや、イメージだよイメージ」と流したのですが、建物内の色彩ってあんがい大事だよなあ、と。群青の麒麟の部屋のときも初見は似た感想をもってでも黙っていたものの紅葉の間でそれが決壊したのですが、赤とか青とかの簡単な単色だと受ける印象がほんと変わるというか安っぽくなるというかラブホっぽく感じませんかね。経験からくるだけかもしれなくて、そんなことないかもですが。