ヤギの不在

住んでいる街から西へ行くと立川というところがあり、駅の北口を降りて10分くらい歩くと巨大な家具インテリアの専門店があります。その家具インテリア専門店もその周囲ももともとは米軍基地跡で再開発をずっと何年も続けていて未利用地が多く、家具専門店に行く途中も前は雑草が生い茂ってるところで、その雑草対策としてヤギが放牧されてていました。

今日の午後、久しぶりに立川へ行っていたのですがそのヤギの居たところは立派なビルが建っていて、当然のこととしてヤギは居ません。いやまあ地主さんからすれば未利用地を放置してもヤギが固定資産税を払ってくれるわけでもなく、キャッシュが出てくだけですから理屈は判ります。

だれかと家具とかインテリアを買いに行く行為というのはどこ前向きな行為でそれとヤギが一緒に脳内で保存されてたせいもあって、また土地にリンクした記憶だったせいもあってふと以前のことが脳内にあふれ、いまと昔が同じではないと知りつつ、ヤギはもう居ないんだ…と知ると、なんかこう、微妙に寂しかったのは確かです。なんだろ、ヤギと戯れたわけではないものの、おのれが想像してる以上にヤギが好きであったのかもしれぬのですが。

なおヤギの居ない立川ではありませんが、多摩地区ではオカメザクラが咲きはじめています。

でもって午後おそく、みずほ銀の報道を知ったのですが、みずほ銀ユーザなのですが、2度あることは3度あるというのは知ってはいたもののほんとに3度目があるとは思いませんでした。明朝までに直ってると良いのですが。

夢を制御出来たら

書くと悩みもなんにもないお気楽な人間に思われちまいそうなのですが、横になってだいたい5分もしないうちに寝てしまうことがほとんどです。わりと地震の30秒前に目が覚めるのですけどめんどくさがりなのでいつも「本棚が倒れてから起きよう」と決めてて本棚を観察し、本棚は倒れないようにはしてあるので本棚が倒れることもなく、もう大丈夫かな、と再度眠りについてしまうことが多いです。仮に夜中に大きな地震があったあとに数日更新がなかったら、そのときはお察しください…って書きたかったのはそんな話ではなくて。

「ほとんど」と書いたのは例外があって、ここ数年、晩冬から春にかけてが多いのですが真夜中にふと目が覚めることが増えています。毎回目覚まし時計を確認して「なんだまだ朝じゃないのか」と、またすぐ深い眠りについています。地震直前以外で真夜中に起きる理由がほんとわからなかったのですが。

話がいつものように横に素っ飛びます。

残念ながら今週、花粉が都心部も多摩も本格的になってきちまったようで、勤務先で花粉症の同僚がくしゃみをしはじめ、くしゃみはないものの私も目がかゆいので念のため花粉症の薬(アレグラ)を飲んで一晩だけ寝ています。その夜久しぶりに真夜中に目が覚めました。翌朝「真夜中の目覚めはもしかして花粉症の薬が関係するものなのか」と疑いだし、使用上の注意をよく読んでみると副作用に「悪夢」の2文字を発見し、ああそういうことか…と、なんだか妙に腑に落ちています。おそらく直前まで悪夢を見てて起き、起きた途端にすべてを忘れ、結果として内容を当人がまったく覚えていないのはまぐれ幸いです。夢の内容を覚えてないのはいまにはじまったことではなくて、夢精があったときもどんなヘヴンであったのかについて、悲しいことにちっとも覚えていませんでした。

内容をちっとも覚えていないものの悪夢を見ることがわかってしまったのでアレグラの服用に若干の躊躇があります。でも花粉症にはアレグラがいまのところいちばんラクなのも確かです。ついインセプションみたいな「夢をコントロール出来たら」などとSFっぽい願望が頭をよぎるのですが。

「〇〇してえらい」

所沢や本川越へ行く西武線というのがあります。

その西武線ではここのところずっとコウペンちゃんというキャラがポスターに起用されています。「マスクをつけてえらい」とかのマスク着用奨励はもちろん、たとえば「電車に乗ってえらい」ってな具合にわりと肯定してくれる存在です。少し前には「通勤してえらい」というのもあって、18からこちら働くのとそれに付随する通勤は当然であったのでえらいと云われると違和感があるのですが、その違和感は私だけかもしれないので横に置いておくとして。似たようなものに「学校へ行ってえらい」というのもありました。

これから書くことは少し言いがかりに近いことかもしれません。

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」というラノベをずっと追って読んでいるのですが、青ブタでは主人公の妹である梓川かえではわけあって学校へ行けず(「おるすばん妹」)、かえで以外にも馴染めず学校へ行けなくなってしまった広川卯月という登場人物がでてきます(「おでかけシスター」)。フィクションであることを差っ引いても行けなくなった理由は腑に落ちるもので、それまでそういう人物がでてくるフィクションを読んだことが無かったのでかなり印象に残っています。その青ブタの読書体験があったので「学校へ行ってえらい」というのに引っかかりを覚えました。

コウペンちゃんのいう「〇〇へいってえらい」とか「〇〇できてえらい」は「〇〇へ行けないのはえらくない」「〇〇できないのはえらくない」を意味するものではないというのはわかります。しかしそのコウペンちゃんの「〇〇してえらい」系の単純なほめ言葉は「〇〇できない」側を追い詰めるのではないか的な疑問があるのです。かといって他にどういう妥当な言い方があるのか、というとわかりません。

私は異性と婚姻して子供を育てるという経験を積んでいないので問題に直面せずにいたのか、コウペンちゃんに出会うまではほめ言葉についてそれほど考えてはいませんでした。正解ってないのかもしれませんが、日本語というか、ほめ言葉って難しいよなあ…とつくづく思うのですが。

「夜は短し歩けよ乙女」を読んで火鍋を食べた

去年から森見登美彦さんの小説を少しづつ読みはじめています。既に去年末には読み終えてはいるものの、面白いの一言で済ますにはもったいないくらいの、しかしどう感想を書いていいのか言葉がなかなか浮かばない「夜は短し歩けよ乙女」(角川書店・2006)という作品があって、いくらかネタバレをするとその作品ではツァラトゥストラはかく語りきを噛まずに言ってのける少年がいる古本市がでてきて、その古本市の会場では火鍋という料理を食べざるを得ない場面が出てきます(たぶん何を言ってるかわからないと思うので興味を持たれたらぜひ文庫などでお読みください)。

本の感想は横に置いておくとして、火鍋というのはずいぶん前から名前は聞いたことがあってもどういうものかは知らずにいました。作品を読む限り、辛いことは想像できます。ココイチでも普通の辛さで充分で1辛にもしたことがないくらいで特段辛い物が好きではないけど興味がわいてはいて、しかし昨今の外食自粛で中華料理店には行けていませんから食べていません。夏に喰うものではなさそうなので冬の間に、とは考えていて、かといって自作しようと検索すると作るにはホアジャオ(花椒)や八角等が必要でなかなか踏ん切りがつかずにいて、まあしょうがないか、と思っていました。文具を無印に買いに行ったとき「たしか無印ってエスニック系の食材に注力してたよな…」とふと思い出し探してみると奇遇にもあとは肉や青梗菜等を加えればいい火鍋のレトルトがあって、好奇心で買ってしまっています(…しまっています?)。

食品売り場でレトルトの説明書きの指示に従い豚肉やネギ、ジャガイモ、豆腐などを買って覚悟を決め(…覚悟を決め?)、しかし封を開けてちょっと舐めると(当たり前なのですが)辛く、ひよってジャガイモを増量しています。はやまったかなーと鍋を眺めつつ、しかし加熱するうちに辛味も強いけどほどほどになって、〆の中華麺までたどり着けています。

作品では火鍋とともに冷たい西瓜がでてくるのですが、残念ながら冬ですからそんなものはありません。でも口やすめが必要だとは考えていて、(当該作品は既読で本を貸してもらった)一緒に食う相手に食材を買いに行ったヨーカドーで「なんなら合うと思う?」と聞くと「トマトは?」との意見が出たのでそれを採用し、視界的に赤主体になったものの冷やしたトマトのスライスを用意しといたのですが、冷たいものは用意しておいて正解だったかも。

もういっぺん喰いたいか、というと即答はできないものの、当座の好奇心は満たせてます。「夜は短し歩けよ乙女」には他には風邪をひいたときの飲み物として温めた電気ブラン(正確には偽電気ブラン)に柚の汁垂らしたものが出てきます。若干それにも興味がないわけではないのですがそれを呑むために風邪になるのもバカらしいので、呑まないで済むように風邪にも注意するつもりです。

COCOAの「アプリの再起動」

あまり褒められた話ではないのですが・バカにされそうなことを書くと、スマホを含めて通信関係は得意ではありません。しかし世の中は読んでる方が知らないはずはないという前提で出来てることが多いです。はじめてスマホを買ったのは2016年ですが、最初は画面に出てくる「ロックを解除するにはスワイプしてください」のスワイプがわかりませんでした。なお説明書は内蔵型です。swipeなら悪口とか強打ですが、悪口を言って稼働すると思えないし強打したら割れると考えてそれもせず、しばらく試行錯誤してるうちにロックが解除され、説明書の索引から閲覧して指を表面に触れてなぞることを理解しましたって、書かなければバレないことを書いていますが。

匿名なので恥の上塗り+書かなければバレないことをさらに書きます。

私は非リモートの都心通勤勢なのでCOCOAをインストールしています。Androidで、去年の9月から不具合があることを知らないままずっと毎日チェックしてホッとしてて、でもそれがまったく意味のないことであったことを知ったときは「かんべんしてよ」という言葉が思わず口をついてでています。かといって削除すべきものでもないよなあ、と考えてそのままにしていたのですが。

でもって修正版が配布されたのを知ったものの、1日1回アプリを再起動して欲しい、と毎日新聞では書いてありました。この「アプリを再起動」が疎い人間からすると謎の言葉で・それを知らない人間からすると何を言ってるのかわからない言葉で、再インストールでもなければスマホの電源の再起動でもないことはわかるものの、数秒「いったい何?」と考え込んでいました。そこで躓くの、少数派だと思いますが。

ここで親しい人に訊くとのちのちバカにされそうな気がしたので自力解決を目指し、もしかして設定から行けば手がかりがあるのではないかと考えて設定を開いてアプリの部分を探して開き、さらにCOCOAを探して開くと「強制終了」というのがあったのでこれか!と押して強制終了させ、再度起動させてます。些細なことでも自力で解決すると「よっしゃ」と満足感が出てくるのが不思議です。

東京は変異株とかなんだか雲行きがすこし怪しいのですがいましばらく感染に注意しながら、いつか温泉に行ける日を夢見て業務を遂行します。

「おのれが我慢していることを他人がしてると知ってしまうとイラつく」こと

さいころからレギュラーコーヒーを飲んでいて、それが染みついてしまってるのでインスタントコーヒーが飲めません。クリープのないコーヒーなんて星のない夜空のようなもの、っていうのがありましたが、私の中ではインスタントコーヒーやクリープが存在するのなら星も夜空もこの世も無くていいです。缶やペットボトルのコーヒーは無糖ブラックに限ります。コーヒーはちょっと贅沢に育ってしまっています。とはいうもののネスカフェがダメなので違いが判る男でもなく、スタバなどでなんちゃらフラペチーノやらなんちゃらマキアートとかは頼みませんし、スタバではほぼドリップコーヒーしか飲みません。ってスタバの話をしたかったわけではなくて。

勤務先のそばの地下街にあるスタバではないコーヒーチェーンの店があるのですが、それが今月いっぱいで閉店になります。残念といえば残念なのですが、ふらっと店に入ってコーヒーを飲むということを皆無ではないけどこの1年確かにあまりしなくなってしまってて+テイクアウトはしても以前ほど店を使わなくなってて、おそらく私のようなのが沢山いたので閉店のやむなきに至ったのかもしれなくて、「なんでこんなことに…」というブーメランはおのれに突き刺さります。はてな今週のお題が「#この1年の変化 」なのですが、この1年でコーヒー店に入ってコーヒーを飲むこと・コーヒーを買うことはほんと減りました。コーヒーに限らず外食する機会も減っています。勤務先のそばではかつて行ったことのある複数の店がこの1年で閉まってしまいました。

話はいつものように横に素っ飛ぶのですが。

インスタントではないコーヒーのほかに夜に飲むお酒も好きです。ただコロナの対策をしている病院をみちまったので感染拡大を防ぐ取り組みには協力しなくちゃなという意識があって、外でお酒を呑む機会というのも減っています。野球と政治の話を書くべきではないとしりつつ書くと、政治家の夜の会食とかを新聞報道で見るとちょっと「イラッ」と来ました。軽蔑だけして流しておけばいいのにそれで済まなかったのはたぶん

「おのれが我慢していることを他人がしているのを知ってしまうとイラつく」

せいかもしれません。些細なことに引っかかるおのれの狭量というか器の小ささと、(無いと思っていた)同調圧力的なものを自覚してます。これは前からなのか仕事を進めるうえで模索することが多かったこの一年の悪い変化の結果なのかわからないのですが。

おのれの器の小ささを拡げる方法なんてわからないのでそれは横に置いておくとして、来年の今頃は、コーヒー店にふらっと入ってコーヒーが楽しめて+美味しいお酒を楽しめればいいな、と夢想するのですが、鬼が笑うか、な。

「民衆暴力」を読んで(もしくは非常時の流言の怖さについて)

以前、「民衆暴力」(藤野裕子中公新書2020)という本を読んだことを書いた記憶があります。そのときは秩父へ行って秩父事件について興味を持ってて秩父事件と失政に伴う経済的困窮の自己責任の萌芽について主に書いています。

「民衆暴力」は他にも関東大震災時の朝鮮人虐殺について2章を割いて言及しています。簡単に書くと朝鮮出身者が放火などをしているという流言が当時あり、その流言の発生源は判らぬものの実際には警察や内務省がその内容に沿った形で警戒を促していて、警察や軍をはじめ信じてしまった在郷軍人会などを主体とした自警団や民間人などがどのように行動したか、などについて丁寧に書かれています。そして公的な記録にも触れてて(P147)朝鮮出身者の犯罪は140人ほどで、うち氏名不詳(≒氏名がわからないのに朝鮮出身として判断されている人)や死亡等詳細がわからないのが120名、窃盗や横領等で有罪になったのは16名ほどで、東京市の窃盗に限れば震災後3か月で4400件ほどの事件があったのですが、著者の藤野准教授の言葉を借りれば「想像上のテロリスト」をおそれていたことになります。

もちろん例外もあって船橋の丸山や日野などでは虐殺などは無かったこと(P202)などにも本書は触れています。また埼玉県本庄では自警団が朝鮮出身者を本庄警察に連行したところ、警察署長が司法権の侵害であると怒っています(P198)。現代の感覚ではその本庄警察の対応は至極まっとうで、しかし事実は小説より奇なりを地で行くようなことなのですがそれが原因の一つとなって本庄警察は襲撃され焼討未遂事件が起きます。

詳細は本書をお読みいただきたいのですが、放火や窃盗や殺人など実際にをみたわけではないのに言葉の伝聞などで誤った情報に触れ「何か悪い事をしたに違いない」と思うようになった人や、やはり実際に見たわけではないのに言葉の伝聞などで誤った情報に触れ義侠心的なものに突き動かされて自警団などに参加した人の証言が複数出てきます。主語がでかくなりますがもしかして人は非常時には疑うことをしなくなるのかも。

本書の震災を扱った2章分を読んでいて、まず公的機関が誤った情報を流すことの害悪を考えてしまったのですが、それと同時にそれが架空のフィクションでも・だれかの口先ひとつが発端で陰惨な事件が起きたことを考慮すると、だれもが容易に情報を発受信できるようになったことは本来よいことですが条件さえ整えば似たような事件は現代でも起きてしまうのではないか、とは思えました。もちろん現代は大正時代と異なり複数の情報などに比較的たやすく誰にも触れることができますから事実確認は容易のはずで人々は騙されにくくなってるはずですからこの考えは噴飯ものかもしれません。

週末の地震SNSにおいてデマが流れた、でも批判され投稿者が削除した、というのを毎日新聞で読んで、大正時代のようにはならないのかな、と安心しつつ、でも事実に基づかないトイレットペーパーが不足するという噂が拡散して各地で買い占めが起きた記憶が新しいので、一抹の不安がないわけではなかったり。