「不味いコーヒー」もしくは「不味い」について

くだらないことを書きます(しょっちゅうくだらないことばかり書いていますが)。

☆を頂いてる方の数日前のエントリにまずいコーヒーに関する考察が書いてあってそれはそれで腑に落ちる内容であって異議を申し立てるつもりもないものの・そしてそればっかり考えているわけではないものの、以降ここ数日関係あるような・関係ないような「不味い」とか「不味いコーヒー」ってなんだろう?というのが脳内にこびりついています。

以前読んだ村上春樹さんの不味いコーヒーの描写で「新聞のインクを煮たような味」というのがあって妙に印象に残っています。でも新聞のインクを煮たことも・インクを煮て飲んだこともないので、インクを煮たものがほんとに美味しくないのか実際のところはわかりません。ただその表現から読み取れることとして「それまで想像もしたことも無ければ体験したことの無いような味」は高評価にはならないのではあるまいか、と。

それをヒントに続けます。

個人的経験で恐縮なのですが、市販の甘いコーヒー牛乳をはじめて飲んだのは小学生高学年の頃で、その頃には死んだ両親の影響でほぼ毎日酸味のあるキリマンジャロのレギュラーコーヒーに牛乳と少量の砂糖を少し入れて飲んでいて、それに舌が慣れてしまったのでそれまで想像も体験したことが無かった甘いコーヒー牛乳に違和感があって(しかし捨てるわけにもいかず我慢して飲んで)、以降コーヒー牛乳はよほどのことが無い限りまず飲んでいません。牛乳に慣れてしまったので森永ラブコーヒーフレッシュを入れたコーヒーも違和感があって、ドトールや新幹線など外でコーヒーを飲むときは砂糖やガムシロは入れますがコーヒーフレッシュはまず入れません。いちど違和感を感じるとそれがこびりついてなかなか離れずいまに至ります。

私の舌がおかしい可能性も否定できないのでコーヒー牛乳やコーヒーフレッシュ入りコーヒーをについて「不味い」と口外したことはありません。「コーヒー牛乳が苦手で」とか「ブラックのほうが良いかな」とかごまかしています。でもここでは匿名なのでそれとなく匂わせながら書くことができます。ビバ!インターネッツ!!…って話がズレた。

「それまで想像したこともなければ体験したことも無いような味」の違和感がもしかして「不味い」になるのかな、という体感からくる仮説をもちつつも、好きこのんで不味いものについて考えて(たとえばコーヒーにゴマ油とかうどんをケチャップ和えにするとか)実験を重ねようという気にもなれないので謎のままです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

私は関東で育ってるので崎陽軒シウマイ弁当は馴染みの味で「美味しいシウマイ崎陽軒」というのがメロディとともに刷り込まれてます。かつて仕えた(京阪神出身の)上司に崎陽軒のシウマイを薦めたことがあったものの、けっして高評価を得ることが出来ませんでした。そこらへんから「美味しい」というのは刷り込みもしくは思い込みと経験からくるものなのではないか、という仮説も持っています。だとすると、美味しいと思い込んでコーヒーにコーヒーフレッシュを入れて飲み続ければなんとかなるのでは?と思い至ったのですが、やはり惜しくて入れてません。これを書いてるやつは舌は保守的で、臆病です。

書いててつくづく思うのですが「不味い」って避けたいものの一つではあるものの、考えれば考えるほど定義しにくくつかみどころがないような気が。そんなことないっすかね。ないかもですが。