ずっと乱視で右目は視力がおっそろしく低く左目もそれほど見えるわけではなく、子供の頃にニコライ堂のそばの病院でメガネを作って貰ってそこではじめてピンボケの世界から脱しています。チラ見したはてなの今週のお題「絵本」の説明文で、
どんな絵本を読んでいましたか
という語句が有ったのですが、クリアな世界を手にしたときには年齢的に絵本は卒業していて、おそらく絵本はいくつか買ってもらっていたと思いたいですがピンボケの世界に居たので記憶にありません。ここらへんたぶん視力が良くなかった子供あるあるかもしれません。ただうっすらと覚えているのは
うんとこしょ、どっこいしょ
という音の面白さがあるようなどこか韻を踏んでいるように思える掛け声のある『おおきなかぶ』というロシアの童話を基にした福音館書店版のものです。
話はいつものように横にすっ飛びます。
たぶん前にも書いたと思うのですが、シェイクスピアのヴェニスの商人に
Tell me where is fancy bred,Or in the heart, or in the head?How begot, how nourished?
というのがあります。これhowとor in theを繰り返すだけでなく、よく見るとheartとheadが韻を踏んでいます。くわえてTell↑ me↓ where↑ is↓ fancy bred↑っていうように言葉の語尾が上下上ときれいにそろっていて、聞こえてくる音の面白さもあります。日本語にすると
「ねえ教えてよ、浮気心はどこで育つの?心かしら?頭かしら?どうして宿してどうしてふくらむ」
とでも訳せますが、しかし音の面白さを含めたなにか大切なものが抜け落ちてる感がぬぐえず、以来ずっと考えているのですが適切な訳文というのをひねり出せずにいます…って私の翻訳能力の欠損をさらけ出してるだけのような気がするのですがもうちょっと続けます。
大人になったいまでも韻や繰り返しのある文章というのがどこか妙に気になります。シェイクスピアにはそんなのがいくつもあって、先人が訳した文章をながめて唸ったりしたことがないわけではありません。それは幼き日のピンボケの世界に居たときに触れた・耳にした『おおきなかぶ』の「うんとこしょ、どっこいしょ」の音の面白さがおそらく根っこにあります。ここで私の職業は翻訳者とか文学者とかだったらカッコイイのですが、残念ながら一介の(勤務先は4階の)サラリーマンです。
さて『おおきなかぶ』の記憶は視覚ではなく断片的な聴覚の記憶で、断片的すぎてその引っこ抜いた蕪をどうしたのかもあいまいです。ので、十中八九有り得ませんが万が一、「大きな蕪を引っこ抜いたのでなんとかしろ」と云われたら迷います。一食分くらいはさつま揚げと一緒に柚子胡椒煮にしたりとか思い付きますが問題は残りをどうするかで、浅漬けくらいしか保存方法が思いつかず途方に暮れる可能性が高いです…ってせっかく真面目に書いてきたのに最後がそれじゃダメじゃん。