一日のはじめと一日の終わりに

普段は毎朝コーヒーマシンでキリマンジャロを淹れています。しかし期限切れが近い貰い物のドリップパックのコーヒーがあって、眺めてるだけではどうしようもないので湯沸かしで湯を沸かしマグカップにドリップパックをセットしてコーヒーを淹れようとしました。ところがお湯を入れてる最中にコーヒーフィルタの片側が力尽きて脱落しはじめ、「え、ちょっ、まって」と口にしてもやつは重力に逆らってまでは待ってはくれません。あわててスプーンを持ち出してなんとか完全に沈没するのは防げてます。出来たときの見た目はいつもと同じだったのですが少量の牛乳を入れると脱落したフィルタから脱走したと思われる粉が浮かびあがり、そして沈殿してゆくのが見えました。改めて淹れなおしてる時間は無いし「死ぬわけじゃないよな」とそのまま飲んで、沈殿しているだろう底までは飲み切らずに捨てています。捨てながらなんだか敗北感があったのですが…って、コーヒーの話をしたいわけではなくて。

退勤時にドラッグストアへ立ち寄ると接触部が冷感仕様の不織布マスクを目にしています。コロナ禍の夏も3回目になるので(ほんとのところはどれだけの実力かはわからぬものの)そういう商品が出ていてもおかしくはありません。ところが先週、残りが少なくなってるのに気が付いて別のところでマスクを買って(しまって)いました。冷感不織布マスクに気が付かなきゃよかったのですが、時すでに遅し。タイミングが合わなかったといえばそれまでなものの、やはりなんだか敗北感を感じています。

一日のはじめのほうと一日のおわりのほうに敗北感を感じてしまうと、なんだろ、大ポカをやったわけではないものの、運の悪い日ってあるんだな、とちょっと非科学的なことを考えていました。敗北感を感じてしまうと冷静になれず、運とかあるかないかわからぬものに支配され、非科学的になりませんかね。ならないかもですが。