これからめんどくさいことを書きます。
ナチスが政権を握った段階でドイツでは遺伝病子孫予防法、いわゆる断種法という法律を作り、本人の同意を原則としつつも病人や障害者に対して断種を行います。現在の時点ではなぜ病人や障害者が子孫を残す選択肢を奪われるのか?という問いが成り立ちますが、当時はどちらかというと社会のためにという錦の御旗の下、特定の属性や個人に犠牲を負わせること・特定の属性の選択肢を奪うことに関して、それほどためらいが無かったものと思われます。
話はいつものように横にすっ飛びます。
ある政党の幹部がSFと断った上で、特定の性別がある一定の年齢に達したら生殖機能の摘出という案を少子化問題の解決策の一つとして出して批判を浴びるとすぐに引っ込めています。わたしは頭が悪いので特定の属性の生殖機能を奪う上記のナチスの法律を想起し、どこがSFなのかすぐには理解できませんでした。わたしの頭の悪さは横に置いておくとして、その政党の内部でその案について誰も止める人が居なかった、つまり、個よりも社会が優先する・特定の属性の選択肢を奪うことに関して、組織としてためらいがなかったのがちょっと怖かったりします。
この文章を書いてるヤツは頭が悪いうえに品もないしほとばしる知性もありませんがいちおう大学は法学部(自称あほうがく部)卒で、法学部は憲法を学ぶことになるのですが、言論の自由や表現の自由に付随する説明で「各種の情報や表現を制約なく受け取り・知ることにより人格形成に資する」という趣旨の一文に接してます。つまるところあらゆる情報にアクセスすることができる状態こそが憲法の予定するところで、その中で極論もあってはよい、と思っていました。ですが「特定の属性の選択肢を奪うことに関してためらいがない」というのを見るとひたすら軽蔑すると同時に、発言権を奪った方がよくね?的なブラックな思考がでてきています。
このまま書き続けるとおのれのブラックさの開陳になってしまうので無理やり話を変えると、批判を浴びたことに懲りて、なぜ批判を浴びたのかをよく考えて、個の選択肢を奪うような変な極論に走らない方向に行ってくれれば良いのですが、撤回時に「不快」という言葉を用いてる時点で快不快の問題と認識してそうで、期待薄かなあ、と。
政治と野球の話は詳しくないのでこのへんで。