朝めしの問題

年末に出た青春ブタ野郎シリーズの最新刊で主人公の梓川咲太が妹の花楓ちゃんに朝めしを作るシーンがあり、その朝めしのメニューは目玉焼きに炙ったソーセージにトーストそれにココアでした。花楓ちゃんはトーストをちぎってココアに浸して食べていて、その発想が私にはなかったのでとても斬新に思え、「ああそのテがあったか」…と真似しています、ってココアの話をしたいわけではなくて。梓川家の食卓の描写を読んで、まあ朝は手軽に作れるもにするよなあ…と毒にも薬にもならない感想を抱いています。

話はいつものように横に素っ飛びます。

幕末の紀州藩士が江戸に単身赴任し自炊した際の記録を基にした『幕末単身赴任下級武士の食日記』(青木直己・ちくま文庫・2016)という本をいま読みかけていて、その中に江戸期の書物の守貞謾稿の記述を紹介しつつ幕末の炊飯事情について書かれてる部分がありました。江戸では例外はあるものの朝にご飯を炊くものの味噌汁をつける程度で簡単なもので済ませ、昼は冷や飯で、しかしそこで野菜や魚を加えていくらか豪勢にしたようで。対して京都や大坂では昼にご飯を炊きその際に煮物や煮魚のほか味噌汁を食べ、朝や夕は塩を加えた茶で冷や飯を煮て茶粥や茶漬けにし、紀州藩士の記録も朝はほぼ茶粥か茶漬けです(P128)。ただ毎朝茶粥や茶漬というわけでは無いようでサツマイモが手に入ればそれを茶粥に入れていて(P110)時期によってはアクセントはあった模様です。

いずれにせよ朝めしは簡単にしていたことに間違いなく、平日朝は朝はパンにコーヒーという簡単なもので済ますことが多いせいか上記の本を読んで「朝食を簡単なもの済ますことを恥じる必要はないよな」とおのれを納得させています。丁寧な暮らしというのが良いとされる状況下ではほんとは納得させてはいけないのかもしれませんが。

さて、歌舞伎の演目に沼津というのがあって(どういう演目かは歌舞伎をご覧いただくとして)、登場人物が荷物を背負うときに「これくらい、朝腹の茶がゆでござりますわ」と軽く啖呵を切る場面があります。朝に茶漬けを食べても腹の足しにならぬ、というところから、まったく堪えないしどってことない、という意味です。茶粥で済ませてしまうと=朝めしを軽くしちまうと昼前にはお腹を空かせてしまう問題に現代人同様に江戸期の人も直面していたのは容易に想像できます。もっとも江戸期と違って文明の利器がありますから解決策としては早起きしてもう一品作ればいいのですが、いちばんの問題は私が朝が苦手なことで…って真面目に書いてきたのに、それじゃダメじゃん