攻撃性と他者のその受容に関して

これを書いているのは残念にゃがら(…残念にゃがら?)誰かに飼われてる猫ではにゃくくたびれたおっさんで一応は仕事をしていて、抱えてる仕事に密接に関連するわけではなくても経済系の週刊誌は目を通すことがあります。今週の日経ビジネスの特集が「悪意VS企業」で、その中でひっかかったのが『日本人は日本人は「いじわる」気質? “愛情ホルモン”の功罪 悪意を昇華させるには』という記事です。他者への攻撃は快感を覚えるドーパミンの分泌を促すことを紹介しつつ「攻撃性は人間の本能として考えられている」とする桜美林大の山口創教授の説が引用され、勤務先の広報やSNS担当の中の人でもないので我が身に降りかかるような話でもないし確実に専門外なのですが、最近の敷島パンをめぐるSNSの事例などもあったのでつい読んでしまっています。特に印象深かったのが記事中にあった「自分の攻撃が他人に受け入れられる」と「クセになる」という趣旨の山口教授のコメントです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

ここ数年、青春ブタ野郎シリーズというライトノベルズの作品を追っていて、その中に主人公の梓川咲太の妹の梓川花楓という登場人物が居ます。花楓ちゃんが(一気呵成に本を読みたい派ゆえに既読スルーしたことがきっかけで)横浜の中学に在学中に複数の同級生からSNSで攻撃を受け結果として藤沢に転居したことが物語にかなり深く関係するのですが、花楓ちゃんを攻撃したリーダー格の同級生は「何がいけないんですか?」という態度であったことが作中で触れられています(『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』・鴨志田一電撃文庫・P267)。私は女子中学生じゃないのでそこらへんの態度がいまいちピンとこなかったものの、仮に「自分の攻撃が他人に受け入れられる」と「クセになる」ならば攻撃を重ねてゆくうちに自らの行為に何の疑問も抱かなくなるのは不思議ではないかも…と妙に腑に落ちています。もちろん青ブタはフィクションではあるのですがでも現実にもそのプロセスは有り得るかもなあと思えて仕方ないというか。

くだらない話を一つ。御堂筋線には以前中津止まりの電車があってもうすこし先の新大阪に行きたいのに微妙にもどかしく、それを踏まえて「なんとかならないものか」的なことを述べたら現地で同意してもらい嬉しかった経験が前にあるのですが、「おのれの嘆きが他人に受け入れられる」のも「クセになる」かもしれぬと思っています。というか、受容されるのはどこか嬉しいのではあるまいか、と。それを踏まえて「自分の攻撃が他人に受け入れられる」と「クセになる」というのはフィクション以外でもわりと有り得そうなことを否定できぬ気がしてならず、せめておのれがそうならないように気をつけようという程度の毒にも薬にもならない感想を持ちました。

なんだろ、誰もが気軽に発信できるSNSというのは便利だけどほんと人間の厄介な一面を炙りだしてしまったな、という気が。