4月2日三鷹にて

東京の羽村から四谷まで江戸期に開削した玉川上水というのがあって、途中で三鷹という街を通過します。その三鷹に一時期住んでいたのが太宰治で、太宰治は戦後、三鷹玉川上水に身を投げます。上水というのは水道に使う水のことで戦後しばらくは玉川上水の水が東京都内へ供給されていて、太宰治が身を投げる前に服毒していたのではないか?という噂がたつと下流域にあるGHQがパニックになった、というのを以前三鷹で聞いたことがあります。もちろんどこまでほんとかはわからず真偽も怪しいのですが…って、そのことを書きたかったわけではなくて。

玉川上水三鷹から井の頭公園へまっすぐ向かいます。上水べりには桜が植わっていて『乞食学生』はそれが葉桜であった記述がありますが、いまちょうど三鷹のあたりは散りかけというか葉桜になりつつある状態です。

が、何故か途中に一本だけ桃があります。上水べりの桜は江戸期に大和と常陸から持ってきた桜を植えていて、いまも上水べりにあるのはほぼ桜です(植え替えもほぼ桜です)。ただ戦中の燃料不足のときに背に腹は代えられぬと桜をいくらか伐ったといわれていて、なので可能性としてはおそらく戦後に植えられた桃のはず。

この桃の木をもうしばらく行くと入水したあたりです。三鷹に居た頃の作品に『桜桃』があって、なのでつい人力詮索を働かせて関連を考えてしまうのですが、しかし誰がそんなダジャレみたいなことを?という気がしないでもないです。誰かが意図的にしたのかそれとも偶然か、偶然だとしても伐らずに残す意図はあったはずなのですが、それは横に置いておくとして、いずれにせよ痕跡が消えゆく中でこの桜桃の並びはしばらく残るかなあ、と。

はてな今週のお題「お花見」を引っ張ると、三鷹周辺は葉桜に移行しつつあります。現場からは以上です。