井の頭公園のこと

たぶん似たようなこと何度か書いているかもなんすけど。

東京の多摩の吉祥寺という駅の南側に井の頭池という池があり、その井の頭池のほとりには弁財天が祀ってあります。井の頭池の一帯は井の頭公園として知られていて、駅から近いこともあって多くの人が散策に訪れます。家族連れはもちろん、カップルも。

ただ、くたびれたおっさんである私が学生の頃はカップルで行くと井の頭の弁財天は嫉妬してそのカップルは別れることになる、という都市伝説がまことしやかに流れていました。じゃあ男女ではない場合はどうなるの?逆にガン見するんじゃね?と弁財天のそばのベンチでひざ枕した野郎2人も居るのですが、ともかくそういう嫉妬深い弁財天がそばに居ると「神様というのはなんでも願いを聞き入れてくれるわけではないんだな」と悟ります。以降、努力はするのはおのれであって神様は見守るだけなのではないか、と考えるようになっていまに至ります。もちろん弁財天に逢ったことがないのでほんとのところはわかりません。井の頭は私の人格形成にいくらか影響を与えています。

この井の頭の弁財天の話を内心くだらないかな…と思いつつ社会人になって名古屋に居たときに話したことがあり、似たような話なんだけど、と断った上で「名古屋の東山動植物園ではカップルでボートに乗るとそのカップルは別れる」という都市伝説を教えてもらっています。ついでに書くと井の頭池もボートがあります。ここから先は想像ですが、公園でボートを漕ぎながら会話がつまらなかったりする場合にカップルが別れやすく、井の頭の場合はそれが弁財天に罪(?)がなすりつけられてしまってるのかな、と。京都の嵐山でもボートに乗るカップルは別れるという噂も教えてもらっていて、もしかしたらどこにでもあるのかも。井の頭だけ弁財天のせいにされてるのが不憫なのですが。

隣の三鷹に住んでいた太宰治の複数の作品に井の頭公園がでてきます。三鷹から玉川上水べりに歩くと井の頭公園に至るのですが、『乞食学生』でてくる万助橋はいまもありますし池のほとりに茶屋がある描写がありますが同じ店かどうかは確証持てぬものの茶店も現存します。また

三鷹から井の頭へ向かう途中「なんじらは我を誰と言うか」と問いに、ある落第生から「サタン、悪の子」といわれショックをうける『誰』という作品があります。我が身を振り返るとそれを否定する根拠も言葉も太宰にはありません。そのうち家のものにも「悪魔に見える」借金を頼んだ先輩にも「悪魔の素質がある」といわれてしまうのですが結末は作品を読んでいただくとして、作品で読んだうえで三鷹から井の頭まで歩くと、ここらへんで云われてショックを受けたのかな、とか、想像できるはずです…って、はてな今週のお題が「好きな公園」で、弁財天の無実について書いて井の頭公園の明るい話に持ってこうとしたのにどこか暗い話になっちまいました。それじゃダメじゃん

いまでも井の頭は吉祥寺に用があると散策したりします。

なお、最後になりますが井の頭公園

春にはこぶし(や桜)が咲きますし

秋には紅葉が見事です。