帰るところにあるまじや

私は父方の親戚と折り合いがものすごく悪いです。稼いだ給与で買った服を生まれ育った街で着ると金持ちは違うねーという親戚が生まれ育った街に居ます。顔や知識、大卒という経歴すら攻撃対象になります。なにか頭にくるものがあるようなのですが、なにが頭に来るのか正直わかりません。「あなたは正解がわからないだろうけどわたしにとって正解に達してないからあなたを批難する」というのはちょっとした恐怖です。顔を合わすのもイヤなので生まれ育った街には用が無ければ近寄りません。両親もこの世にいませんし、実家は跡形もありません。遠く離れているわけではない生まれ育った街に住んでいた頃を思い出すことはないわけではありませんがその思い出はきれいなまま残しておきたいし、戻ろうとも思わなくて、生まれ育った街は「うらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや」というのがしっくりきます。
はてな今週のお題は「#私のふるさと」です。が、生まれ育った街は東京の多摩地方の住宅地で特段の名物があるわけでもありません。以前は時計部品の下請け工場がいくつかあったのですが、いまはアニメ制作会社がいくつかあります。近場でロケハンを済ませたのか何作か舞台になってて(うち一つは実家近くのケーキ屋がでてきたらしい)、でもアニメに興味がないので詳しくは知らず多くを語れません。数キロ行ったところに巨大な霊園があって、10代の頃、そこで夏の夜更けに肝試しをした記憶がありますが、霊感もなくお墓に入ってるということは成仏してるんだから怖くないじゃんと全然怖がらなかったつまんねーやつだったので、恐怖映画のワンシーンのようなエピソードも持ち合わせがありません。おススメのお気に入りの場所もありません。

生まれ育った街ではないものの多摩地区を訪問することがあって時間があったら(そんな奇特な人など少ないと思うのですが)寄り道していただきたいのが三鷹です。駅の西に電車区があり、三鷹で入水した太宰治がわりとよく散歩したっていう中央線をまたぐ歩道橋も現存します。歩道橋を歩いて太宰の世界をより詳しく理解できたわけではないのだけど、この世からおさらばしたいと常に考えていた太宰が行き交う電車を眺めながらそこには飛び込みはしなかった、という点でちょっと興味深いところですって文学の素養があるわけではないのでテキトーですが、でも夕焼け時と灯りに照らされた雪の夜は「うむ、機会があればもう一回みてもいいかな」という程度には一見の価値があります。