『その着せ替え人形は恋をする』11巻を読んで(もしくは「心の支えとしての趣味」について)

去年の第六波の頃に『その着せ替え人形は恋をする』というアニメを視聴し、その後順調に(…順調に?)原作にも手を出しています。着せ恋はコスプレがしたい喜多川さんと裁縫が出来る五条くんが試行錯誤する物語で、アニメは5巻までに相当し11巻はその後の物語です。11巻は9巻10巻の続きで、喜多川さんや五条くんに限らず以前出て来たジュジュ様や女装する男子大学生のあまねさんなどとのコスプレした上での撮影会(俗にいう「合わせ」)が主たるエピソードです。ただし絵面が83話以降かなりスプラッタになります。

いくばくかのネタバレをお許しください。アニメやマンガやゲームというのはどちらかというと比較的低年齢層を想定していると思われます。ので、それに触れている場合には「いつかはそこから卒業せねばならぬ」という意識はひとによってはゼロではないはずです。もちろん第三者によって強制的にということもあり得て10巻78話では「アニメやマンガは小学生まで」という家庭に育ったアキラさんの家庭の話がでてきました。ジュジュ様は理解ある家族に恵まれながらもコスプレをいつか止める日が来ると想定していたことが81話82話で明かされます。過去形で書いたのは大人になってもコスプレにかかわり続ける自称「ダメダメな」大人たちの存在を知ったゆえです。詳細は本作をお読みいただきたいのですが五条くんが喜多川さんに影響を受けて視界が広がって変容したようにジュジュ様も間接的に喜多川さんを介して視界が広がって変容したわけで。単なるコスプレの話にせず人の変化を描いてる点にも唸らされています。

着せ恋は物語の中でコスプレや衣装を着るという行為に意味を持たせています。喜多川さんにとってコスプレは好きという意思表示で(アニメ1話)、あまねさんのコスプレは自信をつけることであり(6巻)、ジュジュ様のコスプレはなれなかった姿になるための自己実現(アニメ8話)です。82話で自称「ダメダメな」大人たちはジュジュ様に「イヤなことを忘れられる心の支えとしての趣味=コスプレ」であることを告白します。もちろん現実的には趣味が無くなって生きてくことは可能です。が、無くてもいいはずの趣味の肯定をフィクションに巧く載せててその点もちょっと唸らされています。そして私は心の支えとしての趣味というものが無いに等しいので(せいぜい本を読むくらいなので)、フィクションとはいえちょっと羨ましいなとも思えてます。

さて、くだらないことを2つ。

ひとつめ。五条くんが造形で指導を仰ぐアキラさんという人物いて、前巻までの記述だとアキラさんは喜多川さんが苦手なのかな、と推測していました。ところが85話を読んでいて「あ゛あ゛あ゛あ゛」となり、緻密な伏線回収に唸らされています。なんか今回唸らされてばかりですが。

ふたつめ。本作ではコスプレを卒業することを職を辞すときなどにつかう「辞める」という表記にしていました。校閲さんの校閲を経ていると想像するのでそれが正しいのかもなんすけど「止める」じゃないんだ…というのが些細な点なのですが興味深いというか。

他にも語りたいところがあるのですが(五条くんの興味がどんどんモノづくりに向かってるので喜多川さんが振り向かせるの大変そうだな…とか)、アニメやマンガに詳しくないし書き方もわからないのでこのへんで。