「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」を読んで

はてなハイクというSNSにいたとき、もしかしたら当たり前のことなのかもしれないけどSNSというのは同質性のある人同士を結び付けるにはもってこいのシステムではないか、という疑念がうっすらありました。同質性って別にややこしく考えないでいいです。たとえばわが身に降りかからない詮索とかなら事実がどうあったかは関係なく人はくっつきやすいし同じ意見をもちやすくなるのではないか、と思います。この1年、折に触れて書いている青ブタこと青春ブタ野郎シリーズも実はSNSの存在が何度か重要な要素としてでてきます。文中の言葉を借りれば「事の真偽よりもみんなと共通してることが重要視され」る空気がSNSなどネットによって醸成されたことがさらっと書かれてるのですが(「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」p112)、フィクションと知りながらそれはあり得るかも、などとうっすら思っていました。また青ブタシリーズはあり得ない現象を取り扱いながらどこかあり得るかもしれないと思わせるところがあるように私には思えていました。

いつものように話が横にすっ飛びます。

青ブタのシリーズ通しての主人公である梓川咲太は「事の真偽よりもみんなと共通してることが重要視され」た空気の影響で中学生時代に結果的に孤立するのですが、最初に聞く耳を持っていたのが七里ガ浜で出会った牧之原翔子という女子高生です。梓川咲太は初恋をうっすら自覚しつつ牧之原翔子が着ていた制服の高校に進学しますが、在籍した痕跡もなく戸惑います。その後梓川咲太は湘南台の図書館で(なにをいってるのかわからないと思うのですが)野生のバニーガールの桜島先輩に出会ったあと交際をはじめるものの、猫を飼いたい中学生の牧之原翔子と名乗る少女、そして19歳になった空気を読まない牧之原翔子が咲太と桜島先輩の前に同時ではないものの現れます。その謎の「猫を飼いたい牧之原翔子ちゃん(以下翔子ちゃんと記述します)」と「空気を読まない牧之原翔子さん(以下翔子さんと記述します)」をメインに小説「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」と「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」、および映画「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」の物語が進みます。なお、冒頭にSNSの話を書いてますが、「ゆめみる」も「ハツコイ」もSNSや空気の話はありません。

物語の冒頭から咲太はピンチです。空気を読まない翔子さんが原作では梓川家に居ついてしまいそこに金沢から帰ってきた桜島先輩がやってくる・映画では桜島先輩が夕食を作ってるときに翔子さんが訪問してきて咲太に梓川家に泊めてもらいたいと懇願します。品のないことを書くと他人のピンチは傍観者にとっては蜜の味で原作を検査室の前で読んでいて笑いをこらえるのに必死でした。翔子さんが咲太への好意を隠さないので初恋の相手であることを知ってる桜島先輩が余裕を失い、いつもの桜島先輩っぽくなくなる描写がとても秀逸で、唸らされてます。恋の話はともかく・話を元に戻すと、空気を読まない翔子さんが藤沢市内の梓川家に居ながら、同じ市内の藤沢市民病院にも猫を飼いたい翔子ちゃんが居ることを咲太や双葉理央は目撃します。なぜ牧之原翔子が2人存在するのかの謎を咲太や咲太の友人の双葉理央、桜島先輩は解こうとし、事態を解決しようとします。時間の経過とともにその核心に近づけば近づくほど冒頭とは全く異なり読んでる傍観者も笑えないシビアな状況になってゆき、咲太や桜島先輩はキツい選択を迫られます。結末や詳細は原作か映画をご覧いただくとして、いままでと同じく事態の解析や解決に物理が関係してて、特殊相対性理論のほか、(いままでの青ブタシリーズででてきた)量子もつれや観測理論などがキーになっています。原作は1冊完結ではないことに気が付き慌てて買いに行っています。

映画「ゆめみる」および原作の「ゆめみる」と「ハツコイ」は青ブタシリーズの中間決算的な作品で、前作をすべて読んでいないとおそらくちんぷんかんぷんです。なので映画が封切りされたとき興行的には厳しいのではないかと思っていました。でもその予想は外れたようでほっとしています。抉られたところがないわけではない青ブタシリーズが市場の評価を得るのは嬉しかったり。

顔出ししない匿名を奇貨としてバカにされそうなことを2つ書いておきます。

以前書いたのですが・いくらかネタバレになるのですが「病気でごめんなさい」という罪悪感を持っていた翔子ちゃんにまつわる小さなエピソードが原作の「ロジカルウイッチ」にあって、翔子ちゃんにちょっと抉られてます。

 

gustav5.hatenablog.com

 

だもんで原作をすべて読む前に映画を見ていたとき、翔子ちゃんがどうなるのか?というのをずっと気にしていて、かさねがさね小さなネタバレで恐縮なのですが、映画館で最後のシーンで翔子ちゃんが出てきたときには涙腺が崩壊しそうになりました。そのあと原作を読んで先行して視聴した映画で結末を知っているにもかかわらず、最後の数ページで涙腺が崩壊しそうになっています。さらにバカにされそうなことを書くと、原作を読んでそして一度みた映像にもかかわらず、青ブタの映画のBlu-rayを視聴して翔子ちゃんが出てきて涙腺がまた崩壊しそうになってます。揺さぶられています。ちょっと小恥ずかしいところがないわけではなかったり。

もうひとつ。

原作では桜島先輩にそのうち捨てられそうな自覚を持つ咲太に、友人である双葉理央からたぶん勘違いしてるよと前置きしたうえで

梓川は、女心がわかってない」

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない・p46)

 と忠告を受けます。咲太は「いっちょんわからん…」とピンとこないのですが、読んでいた私も当初まったくピンときませんでした。原作ではその忠告のあと、病室の翔子ちゃんを心配して元気づけようと「毎日来るよ」と約束して双葉理央から冷ややかな眼差しで見られるのですが、もしかして、心配したり優しくするという態度はあんまりするべきではないのかな、と何度か読み返した今は推測しています。でも正解はわかりません。私はそこらへんだけは梓川咲太と同じ17なのかも、と思いました。もういい大人なのにそれじゃまずいかもなんすけど。