「青春ブタ野郎はロジカルウイッチの夢を見ない」2・翔子ちゃんのこともしくは罪悪感のこと

親についていま時間がちょっとあるのでこの際なのでいくらか書きます。

前にも書いたはずなんすが私は前は乱視がひどくてピンボケの世界にいました。子供の頃にお茶の水の病院でメガネを作ってもらってはじめてクリアな視界を手に入れています。お茶の水にはニコライ堂というロシア正教の教会があるのですが、メガネをかけて外に出て晴天の下、ニコライ堂に行きたいといってクリアな視界でニコライ堂をまじまじとみています。私にとってニコライ堂が、クリアな世界のはじまりであったりします。なぜ行きたい場所がニコライ堂かという母にぼんやりとした世界のときに鐘が鳴ってたのを耳にしてどんな建物かがずっと気になっていた旨を云ったら想像してなかった答えなのかショックを受けた顔をしてしまったことがあります。メガネだから・クリアな世界を手に入れたので、それもわかります。云ってはいけないことであったのかと悟って、以降、なんだか「目が悪くてごめんなさい」という意識もずっとあって、親が生きていたときにはいっさいニコライ堂の名を口にしていません。

話はいつものように素っ飛びます。

「青ブタ」の中の「青春ブタ野郎はロジカルウイッチの夢を見ない」という高校生が主な登場人物の小説の中で翔子ちゃんという中学生が出てきます(高校生の翔子さんも出てくるのですが話がややこしくなるので詳細は「ロジカルウイッチ」をお読みください)。心臓に持病があって、云えば許してくれるとわかりつつも猫を飼いたいのだけどそれを云いだせないで悶々とします。影で親が泣いてるのを見てしまって病気であることの罪悪感があって自制してるせいです。それを知った主人公の咲太は、病気でごめんっていう罪悪感を持ってる限り親もごめんってなるって、と諭します。小さなエピソードなのですが、そのくだりを読んで翔子ちゃんの行動が手に取るようにわかるし子供は居ないけど大人になったいま咲太の云ってることも理解できるし、って読んで心を抉られています。翔子ちゃんは罪悪感にまつわる親との関係をクリアして・フラットにして結果として「はやて」という名の猫を飼うことになります。

私はよき両親に育てられたのではないか、とも思ってるのですが、親との関係で唯一失敗してしまったのは、子の目が悪いことについて親が「罪悪感を持っているかもしれぬこと」に関して、翔子ちゃんと異なり一切触れずにまったく解消しないままで両親を向こう岸に送り出してしまったことです。いまさらどうしようもないのですが。

フィクションの中学生(翔子ちゃん)と高校生(咲太)の対話に抉られてるって、これを書いてるヤツは精神年齢が低いのではないか、という疑惑が出そうなのでこのへんで。