理想の林檎

父方の祖父は80代まで生きています。曽祖父が若くして関東大震災のときに被服廠跡に逃げ込んで焼死し、なので苦労したのか「いつまでもあると思うな親と金」と大きく書いてある大福帳や金銭出納簿を残してます。両親が死んだ後に書類を整理してるときに(おそらく私に読ませるために父と母が捨てずに残した)祖父の大福帳のその文言を読んだ私はつい吹き出してしまったのですが、祖父の言うとおりで(お金はともかく)親はほんといつでも居るわけではなく、命って有限なんだよな、でもって親子というか血のつながりというなにかあっても庇護をしてくれる人が居る理想の状況がもう現実にあるわけではないんだよな、ということを痛感しています。父のとどめを刺したのは血小板の病気で、いまから20年近く前の話です。いまは神奈川県で眠っています。同じ墓に眠る母も乳がんで既にこの世にいません。いま生きてたら70半ばですが、でも父と母は死んだ年齢のときの印象が強く、70半ばの両親が想像できません。

父方の祖母は胆管がんで私が生まれる前に死亡しているほか、父の姉(死亡)と妹(存命)は胃がんと大腸がんです(もっとも父の兄は祖父同様80過ぎまで生きていた)。母方の祖父は大病せず80代まで生きていたのですが、私が生まれる前に死んでいる母方の祖母は胃がんです。母の兄弟姉妹のうち(母の姉たちはいま二人存命なものの)、母が慕っていた姉の一人は肺がんで若くしてこの世を去り、母の兄たちもそれぞれ上から肺がん、白血病胃がんで三人ともこの世からいなくなってます(やはり平均寿命より短い)。

がんの家系なのでがん保険には加入してますが、どう考えても長生きできる確信など持ててません。はてな今週のお題が「理想の老後」なのですが、両親の老後がさして存在しなかったのでまったく想像できません。老後に限らず悔いがまったくないような生き方がこの先できれば理想ですが無理ゲーですし、今までそんなことできていたか?と云ったらそんなことはありません。今までできなかったことがこの先できるわけもないです。なので、がんばらなくちゃいけないときはがんばるけど、理想なんて考えずに肩肘張らないで済むときは肩肘張らずにいつもと同じようにこの先も生きてくつもりです。

理想の老後は横に置いておくとして、理想の林檎は砂糖と水で煮た林檎を冷蔵庫で冷やして食べることかなあ。