97年前のこと

死んだ父の財産を相続するときに必要があって隣県の祖父の旧本籍地へ戸籍を取りに行きました。そこで祖父の名前を訊かれて必要な戸籍をとったあと、祖父の名前で登記してある土地があることを小声で教えてもらっています。いまだったら個人情報の漏洩になりかねませんが平成の市町村合併の前で長閑な小さな役場だったせいかそんなことを教えてくれたのかもしれません。地番をメモして(オンライン化の前なので)登記所へ行って登記簿をとると明治30年代の売買で、どう考えても祖父が乳児の頃なので祖父の意思で購入したとは考えにくく、(歌舞伎の家ではないけど代々△代目〇〇郎という名前を継ぐ習慣があったので)同じ名前を名乗っていた曾祖父が売買したものであろうことは確かです。でも死んだ祖父の相続の書類を引っ張り出して明細を眺めると祖父はその土地をどうも把握してません。

ここから先は推測です。

曾祖父は関東大震災の日、つまり97年前の今日は東京に居て、いまの本所吾妻橋のあたりから両国へ行ったようで、横網町の被服廠跡で焼け死んで(ることになってて)、祖父が引き継ぎはしたもののなんの準備もせずのことだったはずで、すべての財産を把握できなくてもわからなくもないです。父が死んだ段階で固定資産税の課税明細書を基に私は父の財産を把握したのですけどおそらく祖父も同じことをしてるはずで、いま固定資産税の免税点が30万でその土地の評価も30万以下なので税金はかかっていませんが戦前もおそらく税金がかからなかったはずで、税金がかからないゆえに祖父も気が付かず、同じようにおそらく父も気がつかないまま平成まで来ちまったわけで。ついでに書くと売買を証明するものも登記済証もなく、それを役所に説明してどうすることもできないのでそのままにしてあります。なので97年前の曾祖父の遺した宿題はまだ手付かずで、所収者不明の土地に関する報道が流れてくるとなんとなく「ごっ、ごめんなさい…」という気持ちでいっぱいになるのですが。幸いなことに道路にもリニアのルートにも引っかからず、誰かの手を煩わせる状態は訪れていません。

横網町の被服廠跡では曾祖父を含め3万8千人ほど焼け死んだことになっていて、祖父は父へ地震では火が怖いことを伝え、死んだ父も私にそれを伝えています。なので小さくても地震のときはすぐ火を消しますし、バカにされそうなことを書くと揺れがおさまったあとに消防車のサイレンが聞こえるといくらか落ち着かないです。97年前のことでも、なんだろ、あんまり過去になってないです。