相続財産

なんどか書いてると思うのですが工業用機械の会社に勤務していた父は「屋台で生ものを喰うな」というのと「タダ酒は品性がいやしくなるからするな」というのを子である私に(成人式の後か社会人に出るあたりで)アドバイスしました。理屈はわからぬものの「そういうものなのか」と思ってそのときはそのまま飲み込んでいます。社会にでても、バカ正直にその通りにしています。はじめて購買のようなある程度の決裁権限を持つ仕事をしたときに二つ目のタダ酒のほうは理屈をなんとなく理解しています。ある程度の権限を持つと人は擦り寄ってきます。そこでなんらかの借りや弱味を作ってしまったら公正ではいられなくなると思って、軋轢が無かったわけではありませんが自分が担当してる間はだされたお茶は(茶の産地なのでほんと美味だったので)お礼を述べていつも飲み干していたものの、借りや弱味を作らぬよう注意していました。もし父のアドバイスが無かったら冠の中に李をこっそり入れることを要求するような人間になっていたかもしれません。父は私が20代のとき、闘病したあととどめは血小板減少症で他界しています。はてな今週のお題が「おとうさん」で、父から受け継いだもののいちばんでかいのは人として間違った方向へ行かなかった切っ掛けとなった上記のアドバイスなのですが、父がなぜ上記のアドバイスをしたのか、なにかしらの体験に基づくものなのかは訊かずじまいです。特に屋台のほうが謎です。屋台で失敗したのかなーと想像するのですが、いつか向こう岸へ行ったら訊いてみるつもりです(そうなったらここで報告はできませんが)。

アドバイス以外の相続財産のうち、いまも手許にあってどうしようかなと迷ってるのがカメラです。Konica Autorexという一眼レフカメラで、おそらく私が生まれる前のもので、当然デジタルカメラではありません。説明書きもなく、使い方を訊いておけばよかった、と後悔してもあとのまつりで、露出とか絞りとかを含め使い方もわかりませんから父が死んでから20年弱ずっとそのままです。コニカミノルタと一緒になったあとカメラ事業をやめていてもう修理部品が無い可能性がありますから処分しようかなと考えてるのですが、なぜか踏ん切りがつかなかったり。断捨離ができません。

父がいなくなって20年弱なのですが40半ばになっても行動規範の根っこの部分は父の影響下にあります。でもってまだ父からの相続財産も処分できぬものがあって、つまりまだ完全に父離れはできていなかったり。