関東大震災のときに曽祖父はいまでいうところのスカイツリーのそばの本所吾妻橋のあたりにいたらしいのは確かなのですが地震のあと(国技館そばの)両国横網町の被覆廠跡に逃げ込んでいて、その被服廠跡に火事が襲い帰らぬ人になっています。そのことを死んだ父からずっと聞いていたので「地震は火事が怖い」ということをずっと刷り込まれていました。
考え方がちょっと変わったのが東日本の大震災です。
日本橋に通り3丁目ってよばれるところがあるのですが地震のときにビルからガラスが落ちてきてて大きな地震があると落下物がけっこうあることを知りました。住んでいるとことはビル街ではないので「必要ないかなー」「大げさかなー」と思いつつ、念のためヘルメットも用意してます。あれから6年経過して、このまま死蔵したままがいちばん良いのですが、こればっかりはわかりません。
わからないことは多いものの東京は

こぶしが咲きはじめました