大福帳を読む

価値もなく捨ててもいいけど抵抗があるものがあります。その一つが祖父の残した書類です。三越であつらえたおそらく仕事で使っていたであろう風呂敷と一緒に大福帳と書類を保存してあります。大福帳の裏表紙には「あると思うな親と金」と書いてあります。正直、会計書類の保存期間は10年ですから不要なものです。というか日中戦争のあたりで転業してるので、とっくに保存する意味はありません。だからといって捨てるのはちょっと違う気がしてそのままにしてあります。
大福帳を読むと曽祖父と祖父は蚕紙や乾繭(といってどれくらいの人がわかるかわからないのですが蚕の卵を産み付けた紙および繭)の商いをしていました。曽祖父が関東大震災で被災して若くして死んでしまうと甲府の山猿連隊から戻っていたさらに若い祖父が商いを引き継ぎます。売掛もきちんと回収し、余資があると山林を購入しています。興味深いのは祖父は蚕紙と乾繭のほか米相場に手をだしてそこそこ儲けを出しているのがわかるのですけど残念ながら祖父の相場眼は私には遺伝していません…ってそんな話はともかく。
大福帳に書かれた「あると思うな親と金」というのを祖父は誰かに読ませるつもりで書いたのかもしれません。それを孫が偶然目にしたのですから、たぶん初志貫徹です。金のほうは、あると思うとつかってしまうからそれを戒める言葉でしょう。父と母を亡くしてみると「あるとおもうな親」のほうもなんとなくわかります。ふとした拍子に父親だったら・母親だったらどうかんがえるだろうというのがたまに出てきちまうのです。しかし決めるのはてめえであって・自分のモノサシで決めなくちゃいけないわけで、すべて自分の責任で自らの頭で模索するしかありません。いない親は頼ったって仕方ないのです。もちろんほんとのところはわかりません。はてな今週のお題が「私のおじいちゃん、おばあちゃん」ですが、大福帳を眺めてると「あると思うな親と金」の真意や資金繰りの苦労を含め、祖父がいまでも生きててあれこれ訊けたらとても興味深いのですが、祖父は私が小学生の頃に死亡しています。
戦後、祖父は隣県の会社の取締役を設立時から長く勤めていました。縁あってその会社の株主に数年前からなって株主総会に出てるのですけど、死後30年以上経ても祖父を知ってる人がいました。というか競争相手の会社の役員に業務に関することでケンカになり、相手が暴力を振るうまで・一撃を喰らうまでは一切手を出さなかったけど反撃を開始したらその相手をのしてしまったそうでそりゃ記憶に残るよなあ、と。「あなたのおじいさんは」と問わず語りではじめて聞いたその武勇伝は誇らしいものでありました。が、軍隊経験者とはいえ良き家庭人であった祖父しかしらない孫は想像がつかなかったり。これもまた生きてたら訊いてみたいことのひとつなんすけど。