弁当における蒲鉾の存在意義について

いつものように匿名を奇貨としてくだらないことを書きます。

死んだ両親は蒲鉾を食すほうではなく、なので蒲鉾をどうやって食べるのかほぼ知らないまま大人になっています。神田の蕎麦屋では蒲鉾を薄く切ってわさびと醤油を添えて出す、というのは目撃していたのでそれが唯一の知識でした。崎陽軒シウマイ弁当には小さいころからシウマイのほかに蒲鉾も1枚入っていたはずで、その蒲鉾には神田の蕎麦屋での知識があったので一緒に入っていた醤油を蒲鉾に垂らして食べていました。

ところが弁当に常に醤油が付いてくるとは限りません。

社会人になりたての頃に大阪に放り込まれ、その時期の新大阪の駅で売っていた弁当には蒲鉾が入っていても醤油がついておらず戸惑った記憶があります。名古屋駅はすべてを確認したわけでは無いので云い切れないものの幕の内系には醤油が入ってないものがそこそこあり、同じ愛知の豊橋駅の幕の内は横浜同様醤油入りです。静岡駅や富士駅は幕の内の中に醤油のほかにわさび漬けが添えてあることが多く、私は蒲鉾にわさび漬けを載せて食べています。もちろんそれが正解かどうかは謎ですが。

話はいつものように横に素っ飛びます。

蒸留所見学で去春に仙台へ行ったときにかの地の笹かまぼこがおやつ代わりになりうるものだと知りました。私は長いこと蒲鉾というのはおかずというか副菜というかそれでごはんを食べるものだと考えていたのですが、それは思い込みに過ぎなかったのでは?と思い知り、そしてそれ単体で味わう前提なら醤油が無くても腑に落ちたというか。実際仙台駅の弁当に笹かまが入っていても醤油は入っていませんでした。

もっとも弁当における蒲鉾はデザートなのか?というとちょっと違う気がしてなりません。ここではてな今週のお題「お弁当」をひっぱるとさも当たり前のようにそこに居る蒲鉾の弁当における存在意義はいったいなんなのか、去春以降、よくわからなくなっています。もっとも旅先で買った弁当に醤油やわさび漬けが蒲鉾とともにあったら今までと同じくそれらをつけて食べてしまうと思うのですが。