たぶん素敵ではない人生

父が血液の病気で死んだのが20代後半の頃です。そのあとがんで母が死んだのですが、死ということは理解してるつもりでも、いまからおもえばほんとに理解できていたかわからなかったところがあります。というのは納骨とか相続税の支払いとか済ませてだいぶ経った頃に消化器に若干異変が見つかり、紹介状を持参して診察を受けた結果精密検査が必要になって承諾書を渡されるのだけど、そこに本人の書名のほかに万一のときの緊急連絡先を書く場合があり、両親が他界しているのでさてだれに頼もうかと困惑しつつ、悲しさとかそういうのとは別の次元で「おれ一人なのだ」「親はいないのだ」というのを強烈にそのとき意識しました。親が生きていたとき(十代のときに)手術を三回していて書面のやりとりはやってるはずなのですがそんなものがあることすら記憶なかったので親が代行してくれてたはずでそのときは危機であっても無条件で親の庇護の傘にいたんだなあ、というのにも気がつきました。もちろんいまは親の庇護がなくても充分やっていけるので問題はないのですけど。
親が居たときは気がつかなかったのですが、(安寧とか幸せの継続を祈ることの裏返しなのかもですが)危機や不幸というはたぶん突然やってきます。不意にきた危機とか不幸を庇護の傘がなくても一人で受け止めて他人の力を借りながらでも(承諾書の緊急連絡先は彼氏に頼んだら快諾してもらった)解決の方向へ持ってゆくのが自立なのかなあ、と思っています。はてな今週のお題が「#わたしの自立」で、素敵なストーリーを投稿してくださいなんてかいてあったけどちっとも素敵ではないことしかかけなかったり。
うむ、おのれの人生、素敵ではないのだな。