言葉による攻撃の耐性の弱さ

「メールとかメッセージってさ、ぐさって刺さるんだよ」

前を向いたまま、咲太はいつもの調子で口を開いた

「…?」

「かえでがいじめに遭ったときさ…、カウンセラーの先生が教えてくれたんだけど、人って目からの情報が八割で生きてるんだってな」

鴨志田一青春ブタ野郎はロジカルウイッチの夢を見ない・P249)

この1年近くくり返し書いている青ブタ=青春ブタ野郎シリーズの中にはSNSの問題が何作かにわたって出てきます。主人公の梓川咲太の妹である楓(かえで)は横浜に住んでいた時にSNSで中学の同級生に心無い言葉を浴びせられ病を得、兄と妹で藤沢に越してその新しい境遇の中で理解を示す周囲に馴染んでゆく顛末が物語の(特にアニメにおいては)重要な要素になっていますって、前にも書いたかもしれません。

話はフィクションとはいえ勧善懲悪というほど単純ではありません。横浜時代の楓にSNSで心無い言葉を浴びせた楓の同級生たちは事件発覚後に今度は別の生徒たちに心無い言葉をSNSなどで浴びせられて学校に来なくなったことを咲太の居場所を知った楓の友人だった幼馴染が咲太に報告します(「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」)。

これらのエピソードで作者が何を云いたいのか?とかはテストの返答ではないのでここでは書きません。が、読んでいて、人はもしかしてSNSにおいては意図せず攻撃性が露になるのではないか、そして人は言葉による攻撃の耐性は弱いのではないか、とは思いました。とはいえラノベ・アニメ・フィクションですから深くは考えていなかったのですが。

フィクションを読んでいたあとに・深くは考えていなかったあとに、詳細は深くは知らぬもののSNSで中傷を受けていたプロレスラーの自死の報道を新聞で知りました。フィクションの感想を現実の事件に重ねるべきではないとは知りつつも、人は言葉による攻撃の耐性に弱いのではないか、とは思っちまいました。

あらゆる意見や情報に触れて人は思考を形成するので言論の自由ともかかわってくるので非常に書きにくいのですが、基本的になにを書いても自由ではあるべきだと思いつつ、もし人が言葉による攻撃の耐性に弱いのだとするのなら、人の命や尊厳よりも大事な言論の自由はあるの?とも思うので、SNSなどでも相応の規制ってもしかしてあった方が良いのかな、とか思考が暴走しつつも、考えはまとまりません。

ただ私はじょしちゅうがくせいなので…じゃねえ、言葉による攻撃の耐性は強い方ではない(はずな)ので、SNSとは深入りせずうまく距離を置いた方が良いのかもしれぬな、ということはなんとなく察しました。