バカにされることを怖がる性格

また昔話になってしまうのですが。子供の頃にメガネを作って貰ったあとニコライ堂が近いお茶の水の眼科へ通院すると、ご褒美に坂を下った淡路町にあった交通博物館へ連れて行ってもらったことがあります。SLの構造のほか、電車の運転台と台車とモーターの展示がありました。目の前で通電の状態で制御機器を動かせば電動機が起動し駆動装置を経て車輪に伝わり回転するところを手に入れたクリアな視界で目の当たりにすると、そして耳慣れた音がすると、「おお、すごい」となります。鉄道が好きになったのはそれだけがきっかけではないのですが、それらの経験があったこともありずっと鉄道は好きです。

はてな今週のお題が「部活」なのですが、高校には鉄道研究会がありました。なんという魅惑の響き!と考えて、門を叩こうとしたことがあります。でも鉄道模型を持ってる・作ってるわけでもなければカメラ片手に車両を撮る撮り鉄でもありません。その上、あんまり知識もありません。知識の欠損を恥と思うところがあって、もしかしたら浮いてしまうかも知れない・バカにされるかもしれない、と考えて止めてます。結果、絵を描いていたので美術部へ流れてます。

話がいつものように横へ素っ飛ぶのですが、おのれが興味あることについて知識の欠損を恥と思うのは・消極的思考をするのは今でも続いています。たとえば小説を読む・ノンフィクションを読むのは好きだけど、たくさんは読めてないし文学の知識の欠損があるので、バカにされるかもしれないと考え、読書が趣味とは言えないところがあります。この興味のあることでバカにされるのを怖がる・避ける性格は、いまから思えばもしかして高1の春あたりからはじまってて、そのまま引き摺ってしまってるのかも。

[追記]

これらのことがおのれにどういう影響を与えたかといえばもちろん劣等感もあるのですが、「おのれが知らないことがあるのだから他人も知らないことがあるはずだ」というか、知識というモノサシで人を見なくなったことがでかいかも。