「青春ブタ野郎はナイチンゲールの夢を見ない」を読んで

去年から引きずっている・読んでいる青ブタ(青春ブタ野郎シリーズ)の最新刊「青春ブタ野郎ナイチンゲールの夢を見ない」を読みました。面白かったです、で済ますのはもったいないので書きます。

いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが主人公である梓川咲太が通う八景の大学の看護学科の赤城郁美が今回のヒロインです。青春ブタ野郎シリーズは主人公である咲太とその妹の梓川花楓が通う横浜の中学で起きたトラブルが物語に重要な影響を与え、そして咲太と花楓のそれぞれの人格形成にかなり影響を与えます(ここらへん「バニーガール先輩」および「おるすばん妹」に詳しいです)が、赤城郁美は作中の言葉で語れば「絵に描いたような優等生」でありつつ咲太と同じ横浜の中学で同じクラスに居てそのトラブルを極めて近い位置にいた過去を持ちます。その赤城郁美が桜木町駅前で何かを見透かしたような不自然な行動を咲太が偶然目撃するところから物語がちょっとずつ核心にせまってゆきます。具体的にどういう物語かは本作をお読みいただくとして。

もうちょっとだけネタバレをお許しください。「ナイチンゲール」では通奏低音のように流れているテーマが複数あるように思えました。ひとつは「正義」または「正義感」もしくは「正しさ」です。物語の中に限らず人がなにかを判断するときによく出てくる言葉で、またその「正義」を実行すれば正義感を巧くわが身に取り込めた錯覚で何者かになった気にはなれますが(私はその感覚が苦手なのですがってそれはともかく)、その「正義」や「正しさ」という言葉が思考にでてくると・いったんそれを理想にして取り込んでしまうと、どう拘束しておのれを殺すかを、そして肝心かなめの時に何もできなかったことの無念さを、フィクションにのせながらほんのちょっと残酷なまでに描かれています。それを読んで高い度数のお酒を呑んだような、ひりひりとした感覚を味わっています。

また「忘れる」もしくは「許す」もテーマの一つといえるはずです。過去に咲太が居た中学で起きたことを知っている(シリーズ通してのヒロインである)桜島先輩は咲太にある質問を投げかけるのですが、桜島先輩の質問によって「わだかまりが無い」と言葉にできないこととおのれの中にしこりがあることを思い知らされます。そこで桜島先輩が

「誰かを許すのって、難しいわよね」

(「青春ブタ野郎ナイチンゲールの夢を見ない」P136)

と声をかけるのですが誰かっていうのは過去と置き換えてもいいかもしれません。現在のおのれをかたちづくった過去のきついことをその後の経験によって薄めることはできてもゼロにすることにはできないわけで、それらをフィクションに載せられて見せられると、改めてそうだよなあ、と思っちまいました。話はズレますが青ブタに妙に惹かれるのは起きてる現象についてきちんと理屈を描いてるほかに、理屈以外のところも安易に妥協せずをしっかり描いてるからです。

最後にくだらないことを書きます。

本書の最初のほうで、大潮の日に咲太は友人の国見、双葉理央の三人で橋を使わずに砂浜を歩いて江ノ島へ渡る描写があります。潮の満ち引きがあるから理屈の上ではそういうことがあってもおかしくはないのですが想像がつかなくて、大潮の日を狙ってこの目で確かめてみたくなっています。また丼になめろうと大きな海苔が載り、手巻きにしてもお吸い物を垂らしてお茶漬け風にしてもよい、という料理が出てきてて実際真似させてもらったのですが、おそらく藤沢のほうが新鮮でしょうから探して食べてみたくなっています。すべては第三波が収束したら、のつもりですが、読んでて妙に旅情をそそられています。

藤沢ついでに書くと咲太の友人の国見には上里さんという彼女がいて、その上里さんは彼氏と仲の良い双葉理央のスマホを本人の不在時にのぞき見してウラ垢をつきとめ双葉理央と仲の良い咲太に忠告する(「ロジカルウィッチ」)という独特な正義感を持つのですが、その上里さんを筆頭に今回も藤沢勢がけっこう出てきました(上里さんがいることで赤城さんの正義の異質さが少し際立った)。また(中学生時代ににつらい思いをした)花楓ちゃんがメッセージアプリをつかって古賀さんと連絡とり合ってる描写などもあってそれ自体はどってことないものですがリアルに存在するわけではありませんがちゃんと女子高生してて、「あ、よかった」と、なんだか不思議と安心しています。ただしいままでの伏線がすべて回収されたわけではありませんし、おそらくこれはなにかの伏線なのではないか(量子もつれが起きるのでは?)、と思える描写もあります。次の新刊がいつ出るのかわからないのでしばらくチュールのにおいを嗅がされながらマテ!の猫の状態が続きます。続きますが、どういう展開になるのかわからぬせいもあって待つことが不思議と苦痛ではなかったり。