どちらかというと私はめんどくさがりです。できることならめんどくさいことはしたくはないです。はてなの今週のお題が「やる気が出ない」ですが、めんどくさいことをしなければならないときに「やる気が出ない」という言葉がでてくるとけっこう危険です。
なぜ「やる気が出ない」という言葉が危険かといえば、最初に「やる気がない」という断定があってその断定がなんとなくであったとしても断定されてるので強く、なので「やる気がないという理由は妥当かどうか」というのをすっ飛ばして、その言葉を理由に行動を抑止してしまうことが・思考を停止してしまう可能性があります。
しかしやる気が出ないことを理由にめんどくさいことを放置したとしてもめんどくささはまず変わらないし靴屋の小人さんが寝ている間にめんどくさいことを片付けてくれることなんてまずあり得ないので、めんどくさいなーと思いつつ「やる気が出ない」という言葉も封印しつつめんどくささの正体を直視して、片付けることが多いです。その代わりに「小さいめんどくさいことを片付けた後に黒ラベルを呑む」とかの条件付きのニンジンをぶら下げることをわりとします。
話はいつものように横に素っ飛びます。読んでいた青ブタで
「こら、サボるな」
「やっぱり、やる気が出ません」
「じゃあ、バニーガールの衣装で勉強を教えてあげると言ったら?」
「色々なやる気が出そうです」
と、主人公の梓川咲太のやる気を引き出すために桜島先輩がバニーガルの衣装に着替え(なぜバニーガールかは青ブタをお読みいただきたいのですがそれはともかく)、桜島先輩が物理の応用問題をすべて解くまで咲太を寝かせないシーンがありました。咲太はその後いろいろあって結果としては期末テストで高得点をたたき出すのですけど、最終目的地にニンジンをぶら下げてそこに向け走るのではなく、やる気がないときに目の前にニンジンをぶら下げる桜島先輩の方式について、ああそういう方法もあるのか、と最初は目からウロコでした。
でもなんですが。
梓川咲太は高校生です。高校生がニンジンをぶら下げないとやる気が出ないのはフィクションとして理解できるのですが、40半ばを過ぎたおっさんが高校生と同じようにニンジンをぶら下げないとやる気を出さないのって、どうよ?と読んでから2年弱を経過して最近ちょっと冷静になって反省しています。
とはいうものの。
人っていくつになってもニンジンがないとやる気がでなくて前に進みにくいことってないですかね(異論は認める)。