「青春ブタ野郎は迷えるシンガーの夢を見ない」を読んで

言葉というのはものによってはよくわからないものがあります。その言葉の意味を問うても明確には答えられなかったりします。たとえば『みんな』です。

「みんなは反対したけどお母さんは私を産んで、今日まで育ててくれたんだなーって思ったら、『みんな』ってなんなんだろうって気がしてきて。私、真面目な顔をして、お母さんに聞いたからね。『みんなってなに?』って」

鴨志田一・「青春ブタ野郎はお出かけシスターの夢を見ない」・P279)

『みんな』に反対されつつ十代で母親になった母に育てられた、「青春ブタ野郎は迷えるシンガーの夢を見ない」のヒロイン、広川卯月という登場人物の前々作での言葉です。青ブタシリーズ通しての主人公かつ狂言回し役の梓川咲太の妹である花楓も『みんな』と同じがいいと考えていました。『みんな』に好かれたいと思っていた咲太の後輩も居ます。でもって「青ブタ」シリーズでは『みんな』もしくは『みんなってなに?』という問いが何作かにおいて出てきます。青春ブタ野郎である咲太も

右に倣えの生き方は楽でいい。いいこと、悪いことの判断も全部自分でするのはカロリーを使うし、自分の意見を持つと、否定されたときに傷つくことになる。その点、『みんな』と一緒であれば、安心、安全でいられる。見たくないものを見ずにいられる。考えたくないことを考えずにいられる。

鴨志田一・「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」・P317)

と考えつつも・解を出しつつも、そのうえで「だいたい、『みんな』とは誰だ」という問いに達して行動し、(詳細は「バニーガール先輩」をお読みいただくとして)桜島先輩を救います。いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、本作も『みんな』もしくは『みんなってなに?』というのが(たぶん)主題のひとつです。

本作では、卯月は咲太と(そして桜島先輩やその妹の豊浜のどかと一緒に)金沢八景にある大学へ通っています。卯月と咲太は咲太の妹の花楓の進学に相談に乗ってもらったこともあって(詳細は「お出かけシスター」にあるのですが)旧知の友人です。当然逢えば会話になります。が、卯月はその咲太との会話において

「お兄さんも飲む?」

とタピオカミルクティーのストローを咲太のほうに向けてくる

「やめとく」

現役のアイドルと間接キスはあまりよろしくないだろう。

「タピオカ、いまマイブームなのに?」

「僕が飲むとタピオカだけどっさり残るんだよ」

「美味しいのに?」

「才能ないんだろな、きっと」

 (鴨志田一・「青春ブタ野郎は迷えるシンガーの夢を見ない」・P73)

というように、(卯月自身の理屈はちゃんとあっての返答や会話があるのですが)微妙にかみ合わないというか、それらが相手がどう思うかであるとか会話の返答の意図を含め言外の意味に卯月はあまり想像が働きません。「おすまし美人はしゃべると残念(「シスコンアイドル」P259)」とも形容されてて卯月は一言でいえば「あまり空気が読めない」です。でも周囲はそれを許容して「あまり空気が読めない」故に周囲を巻き込んで前進してゆくパワーもあり、いままでの作品においてもそれが卯月という人物の稀有な魅力になっていました。以下、さらなるいくばくかの小さなネタバレをお許しいただきたいのですが、本作では卯月が大学の『みんな』と交流するうちに「空気を読める」ようになり、どのように思われているかに気が付くことで物語が急展開し、シビアな状況に追い込まれます。詳細は本をお読みいただくとして、前作までと同様に登場人物が悩みながらも自力で解決に向かおうとします。空気と『みんな』および『みんなってなに?』は繰り返しになりますが何度も取り上げられてる主題ですが、それでも読み応えのある一冊でした。

本作で描かれてることはもちろんフィクションでどちらかというとSFに近接します。しかしながら、すぐ隣にあってもおかしくない、ようにも思えました。個人的なことを書くと私は今でこそ空気をある程度読めますが、それほど得意ではありません。だからか、そうとらえちまうのかもです。また三度目のかすかなネタバレをお許しいただきたいのですが、

「毎日似たような情報に触れていたら、直接的なやりとりを挟まなくても、情報は共有されて、みんな一緒になるって話。そういう社会性が人間には備わってるんだろうね」

他人事のように理央は言う。ただ、その認識にこそ、咲太は引っ掛かりを覚えていた。

「それって、見ようによっては量子もつれに似てないか?」

その状態にある粒子同士は、なんの触媒を介さずに、一瞬で情報を共有して同じ振る舞いをするようになる。そう教えてくれたのは理央だ。

「結果だけ都合よく解釈すれば、似てる…くらいは言えるかもね」

(鴨志田一・「青春ブタ野郎は迷えるシンガーの夢を見ない」・P133)

本作では「なぜ似たような服装になってしまうか」などにからめてのやりとりなのですが、似たような情報に触れていたら直接やりとりをせずともみな情報を共有して同質性を持ち同じ振る舞いをするようになる、そして、同質性を持ちえなかったそこからはみ出した者を笑ったり下に見たり、というのはフィクションではなくてもあるかもなあ・あり得るよなあ、と思えました。もっともフィクションも現実も人間が作り上げるわけですから、区別するのはもしかしたら噴飯ものかもしれませんが。

最後に本筋と関係ない、くだらないことをいくつか。本作「シンガー」は一応大学生編としてありますが、藤沢市と八景のある横浜市が隣同士にあるように前作までと地続きで、八景のほかに

藤沢北口がちょくちょく出てくるほか、古賀さんなど藤沢勢がちょくちょく登場するのが個人的に嬉しかったりします。ただ、前々作、前作での伏線の回収はされていません。それどころか本作でも伏線が張られています。どうなるのかが気にはなるのですが、 残念ながら次の新刊がいつ出るのかが明らかではないのが、なんだろ、いつ開けてもらえるかわからないちゅーるを前に「おあずけ!」を喰らってる猫の気分であったり。