「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」を読んで

本作は以前ここで感想を書いた青ブタシリーズの、「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」と対になる作品です。主人公の梓川咲太には妹がいて、「おするばん妹」当時は記憶を失って「梓川かえで」として生きていたのですが、もともとの「梓川花楓」としての記憶が戻ったあとの後日譚です。心蔵超音波などの検査の時間の合間などに読んでいました。

兄の協力もあり、見知らぬ他人の視線がかえで同様怖い花楓は「おするばん妹」当時とは異なりひきこもりを脱して保健室登校からではあるものの学校へ行けるようになります。そこに現実的な問題が立ちはだかります。高校受験です。花楓は幸いなことに「おるすばん妹時代のかえで」の記憶はまったくないけど「おるすばん妹時代のかえで」が咲太の親友である双葉理央などから教えてもらったこと・学んだことは身についています。それらを奇貨として兄の恋人である桜島麻衣や兄と同じ学校へ行きたい希望を周囲に伝えます。ただし周囲はかなり厳しいかもしれぬこともきちんと花楓本人に伝えます。伝えつつも咲太はもちろんのこと桜島麻衣や麻衣の妹の豊浜のどかも協力を惜しまず、花楓に受験勉強の面倒を見ます。そして受験当日を迎えます。

「私もがんばるから」

                       (189ページ)

 咲太は受験当日の朝、江ノ電藤沢駅での花楓のその言葉で花楓が「おするばん妹時代のかえで」を明確に意識してることに気が付きます。さらにその日のうちに花楓の持っていた「おるすばん妹時代のかえで」の日記に兄と同じ学校へ行きたい希望が書かれてることを知り、花楓がそれを汲み取って行動していたことを知り落涙します。肝心の受験がどうなったかは本を読んでいただくとして。

ただネタバレにならないぎりぎりの感想を書けば、愛情や厚情を受ければ受けるほどそれに報いなければならないと考えてしまうかえで・花楓の気持ちはわからないでもないな、というのはありました。40過ぎたおっさんが中学三年生の心情を理解するってのは気色悪いかもしれませんが。青ブタの最初の数冊のようなSFっぽさはあまりありません。ほぼ青春小説です。でも方程式を解くような緻密な文章は健在です。たとえば「みんなと同じがいい」というような言葉に代表される「みんな」についての疑義が呈されますし、シリーズ通してなのですが人の集団が作る無自覚な圧力を含む「空気」の厄介さについての指摘も健在です。

とてもくだらないことを最後にひとつ。かえで・花楓はパンダが好きです。おるすばん妹時代は寝間着もパンダの着ぐるみだったくらいです。いままで理由は明かされなかったのですが、作中

「みんなにあんなに見られても、全然平気なんだもん。パンダ、すごい」

                       (250ページ)

というようなパンダに関するリスペクトの会話があってああなるほどそれでパンダなのか、と吹き出しながら腑に落ちたと同時に、そういう目線でパンダを眺めたことが無かったので目からうろこでした。でもそういう理由ならわからないでもないな、動じないパンダってスゲーよなと、思っちまった次第。書けば書くほど考えが中学三年生と同レベルかもしれぬ疑惑が深まっちまうのでこの辺で。