リズムとかテンポとか

わたしは文章を書いてたくさんの人に読んでもらおうという意識がかなり薄弱です。読んだものや経験したことを軸に書いてはいるものの書けば書くほど教養もなければそれほど頭脳明晰でもないのでそれが多くの人にバレるのはヤダ、ってのもあります。じゃあなんで書いているのかと問われれば繰り返しになりますがはてなハイクというところで私は他人の文章がわからなかったことがあり「ああいふうになりたくない」という意識が強烈にあり、そうならぬように「他人にわかるように書く」ことを念頭に続けてるに過ぎません(もっともこれらの行動は「ああいうふうになりたくない」と思った人の裏写しのクローンなので不意にかけられた呪いから逃れられてない証左なのですが)。ただ「他人にわかるように書く」というのを考え出すとすごく難しいです。難しいのですが逆はよくわかります。自分がわかりにくいと思わされた文章はよく知らない言葉が散りばめられていたり、読んでてなかなかわからなかった文章はリズム感というかテンポがよくなかったりします。

話はいつものように横に素っ飛びます。

19日付毎日東京版朝刊に桂南光師匠と山田ルイ53世閣下との対談が載っていました。南光師匠が山田ルイ53世閣下の書いたコラムを「リズムが良い」「読み易い」と褒めてるところからはじまっています(肝心かなめのその山田ルイ53世閣下のコラムがどこに掲載されたものなのかよくわからないのが難点なのですが)。対談中、山田ルイ53世閣下が文章を書くときにテンポを重視してる旨の発言があってまたしゃべりが基本で、それを受けて南光師匠が「師匠の口調だとええけど僕が言うと違うということがあるからことばの順序を前後さすとかカットするとかする」とも述べてて、薄々気が付いていたことではあったのですがリズムというかテンポというのはやはり人に聴いてもらうことや文章を書く上で大事なのかもなあ、と読んで改めて思いました。付随して経験から云って他人にわかるようにテンポやリズムを意識してしゃべることって案外難儀なことなのでそれでこその芸なんだよなあ、と気づかされてもいます。芸レベルでなくてもテンポやリズムを意識してしゃべること・しゃべるように書くことは難儀な気がするのですが、なんだろ、改めて重要なヒントを貰った気が。

って、テクニックを知ったところで基礎となる教養や観察眼やセンスが無かったら意味がないかもしれないのですが。