銀座松屋『その着せ替え人形は恋をする』展(もしくは衣装から眺める「らしさ」について)

去年の第六波の頃に『その着せ替え人形は恋をする』(原作・福田晋一)というアニメを視聴し、そのまま順調に原作にも手を出してしまっています(…しまっています?)。着せ恋は単純に書けばコスプレがしたい喜多川さんと裁縫が出来る五条くんが試行錯誤する物語で、単純じゃないように書くと、喜多川さんは好きという意思表示であると述べ(アニメ1話)、喜多川さんが憧れていたジュジュ様は幼き日の夢を叶える自己実現であったことを告白し(アニメ8話)、姫野さんという女装する大学生が出てきますが(41話)彼にとっては自己を肯定し自信をつけてくれるものとしてコスプレが扱われます。単純なコメディにせず、服を着るという行動に意味を持たせていて唸らされています…って私の感想はどうでもよくて。

土曜に銀座松屋の『その着せ替え人形は恋をする』展を観てきました。

良い意味で少しクレイジーで、すべてではないものの物語内に出てくる衣装のいくつかを再現しています。その中で印象に残ったものが三着ほどあります。

一着目。五条くんがいちばん最初に手掛けた(正確に書くと「聖♡ヌルヌル女学園お嬢様は恥辱俱楽部ハレンチミラクルライフ2」の黒江雫こと)しずくたんの衣裳で、アニメ(5話)では胸まわりが強調されていましたが、実物を眺めてるとフリルに目が行くせいか、不思議と胸がそれほど気になりません。服飾における装飾の効能を改めて思い知った気がします。

二着目。五条くんがかわいい系に解釈して制作したサバこまのりずきゅんという淫魔の衣装で

空を飛ぶ淫魔の設定ゆえに後ろに羽根がついていて、それも再現されていました。思わず小声でマジか…とつぶやいています。

横から眺めていると胸が目立ちます。が、真正面から見ると襟およびその周囲の装飾が見事にその身体のラインを隠していて視線が胸には行きません。ゆえに淫魔なのにどこか健康的に思え、やはりここでも装飾の効能を改めて目の当たりにしています。異性の服をまじまじと勉強する機会がなかったので興味深いというかなんというか。でもほんと、よく考えてあるなあ…。

三着目。喜多川さんが麗様というホストのコスプレにチャレンジしたときに五条くんが作った衣装で、つまり男装の衣装です。58話では五条くんが喜多川さんにこの衣装を着た上で「足を肩幅より広めに開いて、つま先を外に向ける」よう指示するのですが、おそらくそれを忠実に踏まえての展示です。

さて、男の場合は股間に存在するものがありますから「つま先を外に向ける」スタイルは指示されるまでもなく無意識にやってしまうのですけど、この「つま先を外に向ける」スタイルを改めて眺めてるとたしかに男を感じさせます。「男を男として認識するのはなにか」もしくは「女を女として認識するのはなにか」、言い換えれば男っぽさとか女っぽさってなんなのか?それは服装なのか?所作なのか?ということ着せ恋を知ってから考えるようになってしまってて、男らしさ女らしさは衣装や所作ひとつで変わってしまう得体のしれないものなのではないかという仮説を持っているのですが、今回の展示を眺めててそれがより強くなっています。

話を展示に戻すと、原作では補正下着装用≒「パねぇ下着で胸無くなるし」(59話)と説明されているのですけど、横からの姿も身体のラインが消えると・胸が目立たなくなると、やはり途端に女性っぽさが消える気が。あと後ろにも見えますがちゃんと書いておくと原稿も展示されていました。

着せ恋展、濃密な空間に仕上がってて、良い意味で時間泥棒でした。実際に衣裳を作ってしまった狂気に最大限の敬意を表したいところであったり。なお銀座松屋では30日まで。11月に松坂屋名古屋店でも開催されます。