『その着せ替え人形は恋をする』9巻10巻を読んで(もしくはアニメやマンガを好む大人の存在について)

今冬の第六波の頃に『その着せ替え人形は恋をする』というアニメを視聴し、その後順調に(…順調に?)原作にも手を出しています。着せ恋はコスプレがしたい喜多川さんといちおう裁縫が出来る五条くんが試行錯誤する物語で、アニメは5巻までに相当し9巻10巻はその後の物語です。現在文庫本が読めないのですが、マンガは活字が大きめで読めるのを奇貨として読みました。「面白かったです」で終わらすのは惜しいので、書きます。とってつけたようなことを書くと「好きなものを追求してる人たちの物語は眺めてるだけでも面白い」です。

いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが・詳細は原作をお読みいただきたいのですが、9巻10巻は端的に云えば「大人が教える深い沼への誘い」です。

9巻では喜多川さんが念願のミラーレス一眼レフカメラを手に入れています。そのカメラを持って撮影される側ではなく撮影する側として参加したイベントで、以前出会った大人のカメラマンの涼香さんからアングルを変えるだけで印象が変わることを喜多川さんは間接的に教えて貰い、いままで気が付かなかったことに気付かされます(69話)。喜多川さんにとって「コスプレで着たい服を着ること=推しに対しての愛という意思表示」だったのですが、ここでそれ以外の「推しをどう良く撮るか」という別のミッションを抱え、悪く云えば更なる深い沼に足を踏み入れたわけで。

10巻では喜多川さんの憧れの人でもあるジュジュ様が登場し、結果的に涼香さんの友人の協力で今までできなかったコスプレに紆余曲折の上挑戦します。(私が男ゆえにちょっと書きにくいのですがジュジュ様は胸があまりないものの)大人の財力とテクニックを駆使してシリコンブラを使いつつも谷間を作り、諦めていたキャラクタのコスプレの夢をかなえることになります(79話)。フィクションとはいえ、思わず「おお、よかった」などと声が出ちまってます…って私の感想はどうでもよくて。

さて、9巻10巻ではアキラさんという五条くんが教えを乞うている小道具を作るのに長けた技術を持つ人物が出てきます。好きなものを明るく好きといい隠すそぶりもない喜多川さんに対してアキラさんがイラつく描写が9巻10巻ではあって、それが独特の陰影を与えています。10巻78話ではそのアキラさんの過去が明かされ、「アニメやマンガは小学生まで」という家庭に育ち好きなものであっても無断ですべて処分され、結果傷つくのを避けるため対外的に好きなものを好きといわずに隠し嘘をつき続けていたことを五条くんに語ります。良いと思うものを封印して生きて来たアキラさんのことが妙に印象に残り、と同時にいままで読んでいて喜多川さんにイラつきこそしなかったものの「おのれが隠してるのにそれを隠さない人が居るとしたらイラつくのはちょっとわからないでもないな」と1割くらいアキラさん的な部分がおのれの中に確実にあるのを読んでて自覚しました。おそらく私個人がマイノリティですから隠して傷つきたくない意識があって、隠して傷つきたくないという意識から封印してきたアキラさんに近いところがあるせいかもしれません…ってやはり私のことはどうでもよくて。

思うに「アニメやマンガは子供ものである」という認識はいまでも明示的でなくても根強くあるはずで、好きなものを「好き」とは言えずに育ってしまってるアキラさんのような人は居てもおかしくないはずです。でもって9巻10巻のアニメやマンガのコスプレを楽しむ大人やアキラさんの存在は「アニメやマンガは子供ものである」という根強い考えの批判にもなってるかなあ、と。

最後にくだらないことを書きます。

食生活を心配された一人暮らしの喜多川さんは五条くんの実家である五条人形店でごはん食べる機会が多く、65話ではサンマの夕食の後に五条くんは炊き込みご飯のおにぎりときんぴらに卵焼きを持たせて帰宅させます(65話)。出来立ての炊き込みご飯のおにぎりを前に喜多川さんは温かい夜のうちに食べようとして、それが体重増加の原因のひとつではないかと悟ります。そもそも五条くんは翌朝食用に持たせたものでゆえに冷めてもイケる炊き込みご飯のおにぎりにしたと思料するのですが、出来立ての炊き込みご飯を前にして冷めるがままに我慢するのは大変だろうな、と思っちまいました。ダイエットをしたことがないからわからないものの、ダイエットのシビアさがほんの少しだけわかった気が。

他にも語りたいところがあるのですが(たとえば涼香さんが女装大学生である姫野さんを服を着てても「えっち」と評価するのですがその「えっち」の意味が私には理解できなかったことととか)、アニメやマンガに詳しくなく感想の書き方もよく知らないのでこのへんで。