『その着せ替え人形は恋をする』7巻8巻を読んで(もしくは「男らしさ」の得体の無さ)

今冬の第六波の頃、『その着せ替え人形は恋をする』というアニメを視聴していました。原作にも手を出しています。着せ恋はコスプレがしたい喜多川さんといちおう裁縫が出来る五条くんが試行錯誤する物語でアニメは5巻までに相当し、『その着せ替え人形は恋をする』7巻8巻(福田晋一・ヤングガンガンコミックス)はその後の物語です。「読みました面白かったです」で終わらすのは惜しいので、書きます。

幾ばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、7巻8巻は喜多川さんと五条くんが通う高校の文化祭にまつわるエピソードがメインで、喜多川さんがホストの格好のコスプレをする、つまり男装することになります。五条くんの衣裳制作の試行錯誤がやはり物語の主軸ではあるものの、一方で五条くんが他人を頼ることを試行錯誤のうち覚えて成長する点も描かれ、詳細は是非本作をお読みいただきたいのですが五条くんの変化の物語でもあります…ってそれで終わらせればラクなのですが。

もう幾ばくかのネタバレをお許しください。五条くんの衣裳は「クオリティーが鬼」(57話)であり化粧の技術ももちろんあるものの、それらだけでは解決できそうにない手本とした資料との差異に悩みます。それが服を着た人の立ち振る舞いであることに気が付いた五条くんは級友の協力を得て「足を肩幅より広めにに開いてつま先を外に向ける」などの男らしい立ち振る舞いを喜多川さんに例示し、習得した喜多川さんは「首から下だけ男」(58話)になるのですが、それは「目の前の人を男として認識する決定打はなにか」もしくは「目の前の人を女として認識する決定打はなにか」とというちょっとした問いでもあるはずで、ここらへん「男らしさとはなにか」というのにもつながるのですが、それが所作ひとつで変わってしまう程度の得体の無さなのではないかな、と唸らされています。

もう少し続けると、五条くんは男でありながら人形好きであることを幼馴染に罵られた過去を持ちそれを引き摺っています(アニメ1話)。人形が好きであること=男らしくないというのは関係があるようでない無根拠でありそうな気がするのですが、着せ恋は実態があるようでない「男らしさ」についてのあれこれが伏流水のように流れてそれがときたま顔を出します。7巻8巻では妹と同じ少女マンガを基にしたドラマを見てガチ嵌りしたことを恥じている男子高校生が出てきて(58話)、それは根っこには「男らしさ」があってそれに反してるからこそ恥じてるはずで、それを五条くんを含めた級友がやんわりと恥じることではないとたしなめていて、どってことないエピソードなのですがそこでもやはり唸らされています。

さて、個人的なくだらないことを。

7巻で喜多川さんは忙しい五条くんに片手で食べれるような簡易なものでありつつもお弁当を作るようになります(54話)。豪快でとても肉々しいラインナップではあるものの、その中に肉巻きおにぎり棒がありました。棒に刺すことで手が汚れず、合理的で唸らされています。肉巻きおにぎりは興味は有れど食べるとき手が汚れると考えて作ったことがなかったので、真似してみようかな、と。7巻まで読んではじめて喜多川さんスゲーと思いました…って、推しというか贔屓の作品にもかかわらずなにげに失礼なことを書いてる気がするのでこのへんで。