『さらば国分寺書店のオババ』雑感

いつものようにくだらないことを書きます。

椎名誠さんの著作に『さらば国分寺書店のオババ』(新潮文庫・1996)という本があります。読んだのは大学生の頃だったはず。椎名さんと古書店の店主との対決がつづられていて詳細は本作をお読みいただきたいのですが、その古書店の店主は来店した客が本をぞんざいに扱ったり、本の上に荷物を置いたりすると天地がひっくり返るような声で怒ったと椎名さんは記述しています。椎名さんの独特の文体のせいもあるのですが、それまで本屋で怒られた記憶というのが無かったので妙に印象に残っています。

私は買った本を丁寧に扱うほうではありませんが、買う前の本はおのれの所有物ではありませんからわりと丁寧に扱います。もちろん書店で本や雑誌の上に荷物を置くことはまずしません。椎名さんの上記の本を読む前からそうだったのですが、上記の本を読んでからはより気を付けるようになってます。それどころか笑われそうなことを書くと、ぜんぜん知らぬ人が本や雑誌の上に荷物を置くとすごく落ち着かなくなります。そこに国分寺書店のオババがいるわけでもなければ私が怒られるわけでもないし私が損をするわけでもないのにもかかわらず、です。

今朝の毎日新聞国分寺書店の跡地が現在どうなってるかが記事になってて古書店が実在したことを改めて知ったのですが、同時に近所のジャズ喫茶の経営者でもあった村上春樹さんの「国分寺書店のオババはそんなに怖くなかった」という村上さんの公式サイト上の証言も引用されてました。椎名さんの描写にフィクションが何割か入ってるのだとしたら「してやられた感」があります。

本作には国分寺書店のオババが明日の読書人のために本棚を整理していたのではあるまいか?という著者の想像が丁寧に分類された本棚からの推測とはいえ入ってます。それは本への愛着がある椎名さんだから書けるわけで。椎名さんほどではないにせよ本に対する愛着が私もそこそこあって「そういう人が居て欲しい」というのがどこかあって、ゆえにフィクションと思いたくないというのもあったり。

フィクションでもそうでなくてもいずれにせよ国分寺書店のオババの影響がまだあって、今後とも本屋で本を手に取るときは乱雑には扱うつもりはないのですが。

新聞を手に些細なことで思考が数分千々に乱れたのですが、些細なことほど思考が千々に乱れることってないっすかね。ないかもですが。