『時刻表昭和史』を読んで

お題「この前読んだ本」

を引っ張ります。ちょっと前に『増補版時刻表昭和史』(宮脇俊三・角川文庫・1997)という本を読みました。戦前の昭和8年から戦後の23年にかけて学生時代を過ごした著者の私小説的な本で、まったくといっていいほど劇的な展開もありません。しかしながら最初から最後まで視覚聴覚を中心に淡々とした簡潔な描写で当時の日本がどんな様子であったかを本人が関心があった鉄道に絡めて振り返るスタイルをとっていて、つい最後まで読んでしまう程度にぐいぐいと引き込まれてしまっています。

鉄道に絡めて、というのは、乗った列車などに絡めてです。たとえば8章では稚内桟橋行き急行が取り上げられていて詳細は本書をお読みいただきたいのですが、軍部の政治介入に批判的であった著者の父と乗り合わせた軍人の言動や振舞いを淡々と描写しつつ食堂車で食事をとったあとはとげとげいしい空気が和らいだことなどが触れられています。また13章では終戦玉音放送時には山形県今泉駅に著者は居てその時の様子を必要最小限の淡々とした筆致で描かれ、そのあと時刻表の通りに米坂線坂町行きの汽車が来たことがやはり淡々と描かれていました。世の中に大きな動きがあったにもかかわらずその動きと関係なく時刻通りに来る鉄道との対比が、いまも時刻表通りに動くJRを考えればそりゃそうだよなと思いつつもなんともいえぬ不思議さを醸し出していて、唸らされています。

もうひとつ特記すべきは食料に関してです。開戦後の東京では食糧不足が深刻になりつつあるものの地方へ買い出しに行くにも昭和19年には100キロ以上の切符の発売が制限されていてしかし私鉄にはその制限が無かったことを衝いて小田急線経由で湯河原までみかんを買いに行く描写があるほか(11章)、疎開先の新潟の村上ではカボチャがいくらでも手に入ったこと(13章)、終戦の年の津軽の川部ではリンゴをリュック一杯に買えたこと(15章)などが描かれています。つまるところ都市ではない地方には食料がそこそこあって、物流が巧く機能していなかったこともうっすらと描かれています。それらの描写を読んでいると都会に住む人間としては歴史が韻を踏まなければいいなあ、と思わずにはいられなかったり。

以下くだらないことを。

著者の一家は終戦後に熱海に住むのですが、熱海駅のそばには闇市があったらしく一袋10円のピーナツを買っていたものの、値段はそのままで買うたびにピーナツの分量が減っていった(16章)描写があります。最近値段はそのままでカントリーマームの分量が以前より減ったのに気が付いていたので既視感があって、些細なことなのですがなんとなくその悲しみが手に取るように理解できています。バカにされそうなことを書くと本作は食べ物に関する些細な描写がけっこう絡んでいる点で私はリアリティを感じ、そこらへんでもぐいぐい引き込まれてしまったのかもしれなかったり。