「めんどくさい」にまつわること

よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、なぜそうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。

立川談春師匠の「赤めだか」という本の中に書いてある立川談志師匠の言葉です。実際、なにかしらのことがあったとき、分析して原因をみつけて把握して処理すればなんとかなります。やりたくないことはやりたくないけどやらなくちゃいけないことはやらなくちゃならないので「馬鹿」にはならずに結果的に行動を起こします。

行動を起こしたところで一人ですべてを処理できるわけではないので必要に応じて頭を下げて根回ししたり助言を乞うたりします。ごらんのように書く文章は明晰でなく、弁舌さわやかなほうでもなく、頭の回転もよくありません。私は弱い人間なので分析したり処理しなければならない量が多いとめんどくさくなって「あ、オレ馬鹿のほうが良いかも」と思っちまうことがあります。ものごとがすんなり進まなくなって更にめんどくさくなってくるとすべてを放り出したくなることが数回ありました。はてな今週のお題が「人生最大の危機」なのですが、最大にして一番厄介な危機はこの「めんどくさい→放り出したくなる」の一連の心理の動きに支配されるときです。

危機は現況と対処法さえ把握できれば処理できて危機ではなくなりますが、「めんどくさい→放り出したくなる」の一連の流れの対処法がわかりません。もっともいまのところ投げ出したことはありません。ニンジンをぶらさげてそれを気にすることでめんどくさいと思う心理をシャットダウンしたのと、後ろ向きな理由ですが幸いなことに信用してくてる人・ついてきてくれる人がいるので裏切りたくない意識があって踏みとどまってます。でもめんどくささにまつわる危機に関して、本質的な対処法はわかりませんから、この先もたぶん、危機は訪れるかもしれません。経験則から行くとやはりニンジンをぶらさげて突破するしか方法は無さそうです。というか、ニンジンがないと人間生きていけないと思うのですが(異論は認める)。

大きい危機ではない、対処法のわからない小さな危機はけっこうあります。たとえばコンタクトレンズがまぶたと眼球の間に入ってしまうのですが、眼球にあうレンズが無いので手の打ちようがないです。なんども小さな危機が訪れ、なんども繰り返してるのでめんどくさいのですが「またか…」となります。人前でしゃべっているときにまぶたと眼球の間にレンズが入ってしまっても、いまでは顔色一つ変えずに淡々とこなせています。危機は経験するたびに面の皮があつくなって・めんどくささは回を重ねるごとに慣れてきて、どうでもよくなってくるのかも、という仮説を持ってますがあってるかわかりません。

危機についてかこうとしたのですが、書けば書くほどおのれがいかにダメな人間か・厚顔であるかという方向に行ってしまうかもなのでここらへんで。