個人的読書遍歴(SF編)

どこまでほんとかはわからないけど夏目金之助先生は熊本に英語教師として赴任した際、授業では文法的なことはともかくとして最後まで読み通し、十代後半の学生に本を読む面白さを教えていたというのを読んだ記憶があります。あたりまえのこととして夏目金之助先生に教えられたわけではないものの、本を最後まで読み通す面白さに目覚めたのが十代後半で、『銀河英雄伝説』(田中芳樹・トクマノベルズ)を学校の図書室にあったのを奇貨として借りだし、本編と外伝を夢中で全部読破した記憶があります。おそらくSFらしいSFを読み通したのはそれが最初で、なにをとち狂ったか図書室で読んだあと自腹で買った記憶もあります。とはいうものの登場人物は覚えていますが話の詳細はかなりおぼろげで、本もとうの昔に売り払っています。

高校の頃に読んだSFについて続けると、いまでも鮮烈な印象を残しているのは『黴』(栗本薫・角川文庫「時の石」所収)という短編で、表題の通りに世の中が新種の黴に包まれてゆく短編なのですがその作品を読んで以降、作品の黴と現実の黴が異なると知りつつも、黴が若干怖くなっています。恥ずかしながらいまでも黴は苦手です。これを書いてるやつは現実とフィクションの境界が若干怪しいところがあります。

いくらか脱線するのですが、修学旅行のない高校だったので大学入学前に自主的な修学旅行で京都に行っててそのとき神戸にも足を伸ばしていました。阪神大震災は東京に居ましたから関係なかったのですが神戸の景色が変わってしまったのを報道で見てフィクションより現実が気になりだして、結果だけ書くとそこらへんからSFをほぼ読まなくなります。なので冊数をたくさん読んだ人がえらいという世界線では私は恥ずべき存在で、なにも言えなくなります。

なにも言えない代わりに個人の読書遍歴的なことに徹して書くと、再びSFに触れはじめたのはここ数年のことです。再びSFに触れたきっかけになったのが主人公が藤沢市内で野生のバニーガールに遭遇するところからはじまる『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』シリーズで、偶然アニメを視聴し「一人が二人に分裂する」(ロジカルウィッチ)「同じ日を繰り返す」(プチデビル後輩)「人格が入れ替わる」(シスコンアイドル)などの謎ときに夢中になり、続けてライトノベルである原作も夢中で読破しています。なお主人公梓川咲太と友人の双葉理央が理屈を担当していて、読みすすめながら難解な数式を目の前で解いてるのを目撃しつつ腑に落ちるような快感があり、それが惹きつけられた理由のひとつでもあります。残念ながら一昨年の12月の「ナイチンゲール」以降新刊が出ていないのが悲しいのですが、続きを読みたいと渇望させる作品に出会えたことは(何度か書いてるのですけど)ほんとラッキーでした。

さて、くだらないことを。

「毎日似たような情報に触れていたら、直接的なやりとりを挟まなくても、情報は共有されて、みんな一緒になるって話。そういう社会性が人間には備わってるんだろうね」

他人事のように理央は言う。ただ、その認識にこそ、咲太は引っ掛かりを覚えていた。

「それって、見ようによっては量子もつれに似てないか?」

その状態にある粒子同士は、なんの触媒を介さずに、一瞬で情報を共有して同じ振る舞いをするようになる。そう教えてくれたのは理央だ。

「結果だけ都合よく解釈すれば、似てる…くらいは言えるかもね」

(鴨志田一電撃文庫・「青春ブタ野郎は迷えるシンガーの夢を見ない」P133・P134)

「迷えるシンガー」で出くわした、似たような格好をする大学生に関する描写です。これを読んで半月を経過したあたりでTwitterの情報を見た=似たような情報に触れていた人々が紙製品をあちこちでいっせいに買いに行き、結果的に住んでいる街のヨーカドーの店頭からも紙製品が消えた状態になったのを見て、衝撃を受けています。無知を承知で笑われそうなことを書くと「もしかしてSFって現実から遠くないところにあるのかも?」感があったりします。

もっともSFの定義の詳細を知りません。そして古今東西のSFに精通しているほどをSFヲタクではありません。好きに気ままにSFを読んできました。今週のお題「SFといえば」で、古今東西のSFを語りませんか?ってあるのに、それじゃダメじゃん