ヨーカドーにて2月28日

311の直後にポケットティッシュが街中から無くなったことがあって「カミは我を見放したもうたか」とシャレを云おうとしたことがあります(残念ながら花粉症でそれどころではなかった)。そのときは物流がズタズタで物資が東京に入ってこなかっただけで数日で復活しました。で、同僚から中京地区でトイレットペーパやティッシュペーパの買い占めが起きてるらしいよ、とは聞いてはいて、なんでそんなことが起きてるのかをさらに訊くと新型肺炎の影響だというもっともらしい虚偽のネットの書き込みが拡散したようで。(産地の富士市のあたりは土地勘があるので知ってるのですが)原材料は国内の古紙やパルプだし中国関係ないしそもそも物流がとまってるわけではないし、その話を聞いてもどこか対岸の火事というか半信半疑でした。

ところが。

8のつく日なので退勤時に住んでいる街のヨーカドーへ寄ったら一昨日食パンと水菜を買いに寄ったときはたくさんあったはずのトイレットペーパとティッシュペーパ、キッチンタオルがすっからかんで、思わず「マジ?」を声を上げています(トイレットペーパとティッシュペーパ、キッチンタオルは買い置きがあるので個人的には困った事態にはなっていません)。

「毎日似たような情報に触れていたら、直接的なやりとりを挟まなくても、情報は共有されて、みんな一緒になるって話。そういう社会性が人間には備わってるんだろうね」

他人事のように理央は言う。ただ、その認識にこそ、咲太は引っ掛かりを覚えていた。

「それって、見ようによっては量子もつれに似てないか?」

その状態にある粒子同士は、なんの触媒を介さずに、一瞬で情報を共有して同じ振る舞いをするようになる。そう教えてくれたのは理央だ。

「結果だけ都合よく解釈すれば、似てる…くらいは言えるかもね」

(鴨志田一青春ブタ野郎は迷えるシンガーの夢を見ない」P133・P134)

咄嗟に想起したのはここのところ読んでいた(本作では主に服装についてだったのですが)青ブタの新刊の上記の部分です。(SNSを通して)似たような情報に触れていたら直接やりとりをせずともみな情報を共有して同じ振る舞いをするようになる、というのを目撃してしまったような気がして、現実なんだけどSFのフィクションみたいだ、と思っちまいました。フィクションだったらよかったんすが。

私はTwitterをやっていませんし(gustav5というアカウントは合衆国の見知らぬ人が取得してて無関係です)、はてなブックマークを筆頭に話題になったネットの情報に触れることもほぼありません。そのせいか・距離を置いてるゆえに、改めてネットの普及のすごさとそのネットに載る(必ずしもそれが事実でなくても)断片的な情報の浸透と拡散の怖さというのをなんにもない棚を前に思い知った気がしました。

と同時にいくらか距離を置いてるせいか、ネットやSNSは人から冷静さを奪う装置の一面があるのではないか、とも思えるのですが、どうだろ。もちろん誰もが気軽に発言できるなど良い面もあるはずですが。