半田散策その2(ミツカンミュージアム見学)

いつものようにくだらないことを書きます。

個人的なことを書くとここ数年、処方された薬の影響が若干あって味覚が若干変化しています。それでも変わらないのが不思議なことに酸味で、市販の餃子に甘酢のあんかけを作ってかけたり、作り置きでキャロットラペを作るようになったりしています。それが影響したわけではないものの、週末に愛知に行った際に知多半田に酢で有名な会社があるのを知っていたので知多半田の資料館を見学していました。

ワインビネガーという商品がある以上酢というのはワインとか酒から造るものなのだろうな、というのは想像していたのですが、半田の酢の会社の場合は最初は持て余した酒粕を利用して酢を製造販売していたことを今回知りました。その酒粕の酢いわゆる赤酢を利用したのが江戸の握り寿司で、江戸の昔から半田の酢は寿司酢などの市場を獲得し、いまに至ります。

見学コーナーの真下がその酒粕酢の製造現場で眺めることができ…ってさらって書いていますが、いまでもいわゆる赤酢である酒粕酢の需要はあるようで。うま味のある酢なのですが、けっこういい値段がします(あとで売店で見つけた)。

酢の製造工程や江戸の頃の製造方法などをはじめとして資料館としてはとても見応えがありました。江戸期は製造工程で使われていたのは丸い桶であったのですが

戦後、四角くなります。なぜ四角くなったのか?なにか製造上の秘密でもあるのかな?と資料館の方に訊くと明るく

「戦後の社長がケチだったんです」

との答えが。笑うとことなのかどうなのかわからずにいると「丸い桶を並べるとどうしても隙間というかデッドスペースが生じてしまいますが四角くすることによって空間のデッドスペースは無くなりますよね?」と追加の説明があってつまりコストを下げる効率化のためで、腑に落ちています。

コストついでに書いておくと江戸期は半田から江戸まで酢を樽に詰め船で運んでいたのですが、帰りは当然空の樽を積むことになります。そこでその空樽を崩してスペースを作り、そこに寄港先の伊豆の下田で伊豆石という建材になる軟石を積み込み半田に運んでいたそうで。往路の配送コストを抑えるための復路の収入もしっかり考えられていたわけで、二百年以上続く会社のソロバン勘定に唸らされています。

念のためソロバン勘定以外のことも書いておくと味付けポン酢などの紹介があって、味付けポン酢はもともとは博多の水炊きに出てきたポン酢をヒントに製品化したものの、ちゃんこ鍋のソップ炊きのようなあらかじめある程度調味料を入れた状態で具材を煮込む鍋が主流の東京などでは最初は全く相手にされず、ので、築地市場などに材料や味付けポン酢を持ち込んでデモンストレーションをして売り込んで根付かせたそうで。ソロバン勘定だけを考えたらそんなことはしないはずで、美味いものを根付かせようとする食に関するその熱意にも唸らされています。なお近畿では他地域より購入量がいくらか高いことも紹介されていたのが(サンマにみかんをかける詩を残した詩人も近畿出身だったことをふまえると)興味深いものの、食に関する歴史が関係するのかどうなのか、坂東の人間にはそこらへんがわからなかったり。

視覚以外でも酢についての理解も深められるようになっていて、酒粕酢のほか穀物酢や米酢のほかリンゴ酢などがどんな香りがするか、嗅げるような仕組みになっていました。酒粕酢以外はだいたい理解していたのですが、つい、嗅いでしまっています。

まともに見学すると時間泥棒な施設です。

なお渋墨塗りの建物が運河近辺にあって、資料館もそれにあわせてあります。

施設内に売店もあってそこで酒粕の酢と宇都宮餃子用の味付けポン酢も買っています。ねえ、愛知まで来て宇都宮餃子用のポン酢を買ったの?と呆れられたのですが、酢の専門メーカーが作る餃子専用のタレって気になりませんかね…って、これ以上続けると食い意地が張ってる証明にしかなりそうにないのでこのへんで。