日傘について(もしくは個人的な「買ってよかった2024」)

乳母日傘という言葉があります。良く云えば大事に悪く云えば過保護に育てられたという意味です。その言葉を知ったのはいつだったか覚えてないものの日傘に対してあんまり良い印象はありませんでした。でもって、これを書いているのは昔はガラスの十代でしたがいまはおじさんでUVケアなどにもほぼ興味がありません。ので、春の終わり頃に勤務先のそばの大丸で紳士物の日傘を眺めたときも私は一介の(勤務先は4階の)労働者でくわえてブルジョワ意識もないので「ねえどうしておれが日傘ささなくちゃいけないんだよ」などといまから思えば根拠不明なことを考えていました。

ところが。

猛暑が本格化する前、ドラッグストアで晴雨兼用の折り畳み傘が目にとまり、15%引きのクーポンが1枚余っていたのを奇貨として念のため買っておくか…と購入しています。ただ買ってもしばらくは死蔵していました。上記の乳母日傘ということばの印象から若干の恥ずかしさがあったからです。

猛暑が本格化したある日、小山から友部までの水戸にはいかない水戸線というのがあるのですがその水戸線が途中から5分程度遅れ気味になり、5分の余裕で接続するはずだった関鉄のバスが駅の改札を出た時点で駅前のバス停から走り出したのが目に見え、「まって、まってくだされ」と時代劇のセリフのような言葉が出たところで待ってくれるわけがなく、ので、仕方なく目的地まで炎天下を歩く覚悟を決め、人も少ないしこの暑さではおのれに過保護でもいいじゃんよーと理屈をつけにわか雨対策用にカバンに忍びこませていた買ったばかりの晴雨兼用の折り畳み傘を「まあないよりマシかなあ」とひらいたところ、あにはからんや、意外と熱を遮ることを実感しました。ここで今週のお題「買ってよかった2024」を引っ張ると、今年ガチで買ってよかったものと云えば晴雨兼用の日傘です。

日傘の機能を実感してからは恥ずかしさよりも暑さ対策が勝ち、住んでいるところから最寄りの駅まで歩いてだいたい15分くらいですがその程度でも欠かさず日傘をさすようになっちまっています。(ここでポンコツなところもを書いておくと涼しくなりかけた)夏の終わりにその日傘を無くすまでは。

話はいくらか脱線しますが私の日傘に対する恥ずかしさは乳母日傘という言葉からくる過保護と思われることに対する抵抗感から生じていました。でも慣れてしまうと消えちまっています。その経験から恥ずかしさの正体というのはあんがい薄っぺらい破りやすいものかもしれないなあ…と思いはじめてます。

話を元に戻すと日傘でいくらかマシになったとはいえ今夏はほんとキツかったです。来年は猛暑じゃないといいなあ、などと考えるのですが、鬼が大爆笑しそうなのでこのへんで。