『夏季限定トロピカルパフェ事件』を読んで

今夏放映されていたアニメ『小市民シリーズ』を録画して視聴し、つい原作に手を出しました。本作『夏季限定トロピカルパフェ事件』(米澤穂信創元推理文庫・2006)は今夏の放映分の後半部分6話から10話に相当します。ミステリゆえにあらすじの肝心かなめの部分は書けませんが面白かったです!で済ますのがもったいないので

お題「この前読んだ本」

を引っ張って以下書きます。

いつものように幾ばくかのネタバレをお許しください。シリーズ通しての主人公である小鳩くんはシリーズ通してのもう一人の主役である小佐内さんから<小佐内スイーツコレクション・夏>というピーチパイやりんごあめ等和洋菓子がランキングされた紙と地図を渡されます(P29)。本作が小佐内さんと小鳩くんの単なる和洋菓子店巡りだったら平和なのですがそうはならず、ここでもう幾ばくかのネタバレをお許し願いたいのですが、小佐内さんは後半では誘拐事件に遭遇します。それらの事件の真相は物語のキモなのでぜひ本作をお読みいただきいただくとして。

物語のあらすじに関係はありませんが、原作を読んで改めて唸らされたのが「考える」という営為です。

他人が行った行為について考えるとき、その考えるという営みには「妥当かどうか」とか「正しいかどうか」という判断がついてまわることがありますが、そのときに共感は必要ありません。なんのことはない、それが「正しいかどうか」「妥当かどうか」について判断することは「共感」を横に置かないと成り立たないからです。小鳩くんは無意識のうちに「妥当かどうか」や「正しいかどうか」を考えることができるゆえに「共感」というのをあっさりと横に置き、他人の行った行為を批評します。小鳩くんはそのことについてやんわりと詰られるのですが(P227)、その詰る言葉は小鳩くんの謎解きや批評を無批判に受容して読んでいたこちらにも刺さります。くわえて、小鳩くんは考えを巡らし謎解きをしている際にいきいきとしていたことを指摘されます(P225)。指弾といっても良いのですが、それも共感を横に置いて事態の謎解きを求めて考えながら読んでいるこちらにも向けられているはずです。

誰もがやってしまいかねない「考える」という行為に対しての厄介さをフィクションに巧く載せてあり、誰もがやってしまいかねない「考える」ことの批判について、本作最終章に伏流水のように流れている気がしてなりません。

本作の謎解きの結果がどうなったかはやはり1期のアニメをご覧いただくか本作をお読みいただきたいのですが、人がついやってしまうそれらの考えるという営為の厄介さについて触れることで本作は単なる謎解きに陥らない効果をもたらし、人付き合いとはなんなのか?とかを物語を眺めてる側に考える余地を与えている気が。その点も秀逸です。

以下、くだらないことをひとつだけ。本作がなぜ『夏季限定トロピカルパフェ事件』なのか、<小佐内スイーツコレクション・夏>のトップがトロピカルパフェではあるものの、読んでいる間はなかなかわかりませんでした。最後の3ページを読んで腑に落ち、唸らされています。小鳩くんは「まずい」と評してるのですが(P234)、うまいなあ…と。