棒の話2023(もしくは今年読んだものおよび見たものについて)

「去年今年貫く棒の如きもの」ってのが虚子の俳句にあります。おそらく棒というのはたいてい右も左も同じ材質でできているはずで、なので同一でたいして変わらない、という解釈をしています。(以前も書いた記憶があるのですが)でもほんとに今年と去年は棒のようなものなのか、証明した人が居たわけでもないはずで、私も叩いて確認したわけではないのでそれが事実かはわかりません。ただ秋あたりから勤務先で新たな宿題を振られどんどん速度を増しながら毎日が過ぎ去っている感覚があり、去年と今年では様相が異なってて個人的には「棒は違うんじゃないの?」感があります。

去年と今年の差異を続けると、本を読む時間を捻り出せてもそれについてアウトプットする時間を去年ほどなかなか捻り出せずにいました。なのでこのダイアリで書いてる内容も去年より薄くなってるはずです。

そして読む本は日本史関係の比率がなぜか多くなっています。その中で

 

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題材的に万人受けしないもののかなり興味深かったのが『豪商の金融史』(高槻泰郎編著・慶応大学出版会)という大阪の豪商加島屋(廣岡家)の資料を基に書かれた本で、江戸期の豊後中津藩の財政及び中津藩に対する加島屋の融資の記述が何割かを占めています。中津藩は加島屋の介入によって決定的な破たんを回避する過程も明らかにされていて、組織における第三者の目の重要性というのを改めて認識しています。

マンガもそれほど読んでないのですが

 

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正直読めて嬉しいと思えたのが『神さまがまちガえる』(仲谷鳰・KADAKAWA電撃コミックスNEXT)です。どんな話かは是非本作をお読みいただきたいのですが、特に3巻では未成年である登場人物の秘密の取り扱いについて触れられていて、抱えている秘密について周囲の大人が「よく考え自らの意思で打ち明けるのはいい」とした上でよく考えることをすすめ、さらに「その時間を守るのは大人の役目」と述べます。掲載誌の電撃大王がどの世代向けのものかは横に置いておくとしてカミングアウトという言葉が良いものとしてもてはやされる一方で(つまり隠さないことが善とされる一方で)、誰もが抱えかねない秘密の取り扱いについて未成年にもかつて未成年だった人にもフィクションに載せてとても大事なことを云ってると思われ、やはり唸らされています。

近郊中心ですがあちこち出かけていて、去年謎だと思っていたことが今年になって解けてもいます

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会期が終わってしまったものをここで紹介するのは気がひけるのですけど、鎌倉殿の13人の影響で三島へ行き伊豆や相模で使われた三嶋暦というものを知り、暦を作っているのにも関わらず天文観測の拠点が三島にはないことを知り、はたしてどうやって暦を作っていたのか?という謎を去年から引き摺っていました。その謎が解けたのが佐倉の博物館の上記の展覧会です。また展示を通して暦の方面から眺めていると「明治維新とはなんだったのか?」感が強くなったのですがそれは置いておくとして、行けてよかった展覧会でした。

見たものついでで今年印象に残ったのをもうひとつだけ。

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秀吉の小田原城攻めは有名ですがそのとき石垣山の一夜城から小田原城へ鉄砲を撃ち後北条側が驚いた、という説があります。いざ小田原城へ行って天守閣から石垣山の一夜城の方向を眺めてたらあんがい遠く、あんなところから鉄砲撃たれたってたいしたことないのでは?感が強かったです。現地現物大事というか見ると聞くとじゃ大違いというのを改めて実感し、勝者と敗者があったときに勝者は話を捏造することがあるのでは?と疑いをもつようになっています。そこらへんが小さいながらも去年と異なるところです。

読んだものや見たものを軸に今年を振り返ってみました。疫病がこの先どうなるのかとか来年のことは先が読めませんが生きていれば来年の年末にも相変わらずくだらないことを書けてるはずで、いましばらくのお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

話を棒に戻すと去年と今年で春夏秋冬の順番が変わってないし来年も変わるとは思えず、やはり「去年今年貫く棒の如きもの」で去年と今年と来年は同じじゃないの?といわれればぐうの音もでないです。ただ棒であることが証明されてない限り「去年今年貫くバールのようなもの」とかの可能性もあるわけで…ってせっかく真面目に書いてきたのに最後がそれじゃダメじゃん

末尾になりましたがよいお年を。