小田原城天守閣へ

金曜は休日であるのを奇貨として小田原へ行っていて、遅い昼めしを食べたあとに腹ごなしに小田原城を見学しました。

いまある天守は昭和になってから再建されたもので、中は後北条家や小田原藩に関するコンパクトな資料館になっています。おそらく小田原が誰もが知る歴史の舞台にはじめて登場するのはやはり秀吉の小田原攻めのはずですが、それに備えての堀と土塁による総延長9キロに及ぶ念入りに作られた北条側の防禦の展示を興味深くつい見入ってしまってます。そして北条氏直はどちらかというと暗愚とされがちではあるものの、暗愚な人物が念入りな防禦を作れるわけがないよなあ、という気が。もっとも、容易に頭を下げることをしなかった点において、なんかこうくすぐられるものがあって、いくばくか贔屓目で見ているかもしれませんが。

館内には「北条五代を大河ドラマに!」というポスターが貼られていて、あ、観てみたいかも…と数秒立ち止まってしまっています。大河ドラマついでに書いておくと、小田原に縁が深い大久保忠世のところには『どうする家康』の関連で忠世兄ぃ役の俳優さんのサイン色紙があって人だかりができていました。良いように描かれてたのでわからないでもなかったり。

なんとかと煙は高いところが好きといいますが天守の上は展望台になっていてもちろん登っています。

西側の眺めなんすけど、一番手前のビルや住宅のある尾根の次の山並みが秀吉が陣を置いた一夜城のあった石垣山で、一見すると「あそこになにか建っても驚くかなあ…」という距離です。石垣山までおそらく2キロくらいで、石垣山から小田原城まで鉄砲を撃って北条軍を驚かせた、とも伝えられてるのですがやはりどう考えても荒唐無稽の作り話にしか思えなかったり。その根っこは勝者への賛辞からくるもののはずで、勝ち負けというわかりやすさは容易にありもしない物語を生み出すのではあるまいか…って話がズレた。

さて、天守の西側には

関東大震災で被災しきれいに(…きれいに?)ズレたというか崩れた石垣がそのままになっているところがあり、東京だと関東大震災の痕跡はほぼないせいもあって、改めて目にしてちょっと唸らされています。

11月とはいえかなり暑く、小田原城から御幸の浜は歩いていける距離なので寄っています。

波がくると思った

その4秒後、あわてて逃げだしたものの

その3秒後には足もとまで。足の裏から砂が消えてゆく感覚を味わってきました(つまり逃げられなかった)。