高島城見学

おそらく何割かの人が目にしたことのあるはずの映画に出てくる湖の眺めと同じ場所が、諏訪というところにあります。

眼下には諏訪湖があり、改めて眺めるとけっこうデカいです。土曜に山梨に用があってそのまま東京に戻らず西進して諏訪まで足を伸ばしたのですが、立石公園というところからのこの眺めで確実に駄賃代わりになりました…って書きたかったのはそんなことではなくて。

諏訪湖のほとりからそれほど遠くないところに高島城という城跡があり、日曜にそこを見学していました。

いまは天守が復元されていて内部は資料館になっています。見学をして秀吉の時代に諏訪を治めていた日根野高吉という武将が築城してること知ったのですが、興味深かったのが天守の構造についてです。

ごらんのように今は高島城から諏訪湖畔までいくらか距離があってそれは江戸期の新田開発の影響なのですが、水田に適するような土地かつ諏訪湖が近いゆえに、高島城のあるあたりの地盤はけっして良くありません。そこで日根野氏は天守の下に材木を使っていかだ状の枠組みを作りそこに廃城になった城の石材や墓石や道端の道祖神などを多くの石を積み、その上に石垣を作って天守を構築しています。つまり天守のあるところは基礎が堅い地盤には刺さっておらず、やわらかい地盤の上に単純に置いてある状態です。プリンアラモードを咄嗟に想起したのですが、クリーム(いかだ状の基礎)とさくらんぼ(天守)がプリン(軟弱地盤)の中にに沈まないのはもちろん、仮にプリン(軟弱地盤)を揺らしても、上のクリーム(いかだ状の基礎)とさくらんぼ(天守)がなかなか落ちないのとおそらく同じことで、400年以上前の知恵に唸らされています。よもや400年後も残るとは計算してないでしょうから400年前に埋めたいかだ状の枠組みの材木が腐ってないのかが気になるところですが、結氷することもある諏訪湖に近いがゆえに腐ってないとおもいたいところ。

もちろんさすがに無傷とはいえなくて石垣の修理はなんどか行ってはいて、石垣はもともとの野面積みのところとあとで手を加えたところとおぼしきところはシロウトでも見分けがついています。高島城に入る前は「さらっと眺めて信州そば喰いにいこーぜ」だったのですが、江戸期のアクロバット的な天守の修理の記録などもありさらっと眺めるだけでは惜しく、結構時間泥棒な場所でした。

ついでに書いておくと、おそらく他の城にないものとして温泉があります。

(高島城のある上諏訪は温泉街がありのでそれは不思議ではちっともないのですが)いまは神州一味噌になってる三の丸のあたりから昔から温泉が湧出していたらしく

江戸期の諏訪氏の治世に温泉の配管に使ったと思われる石材の跡、なんてのもありました。なんかいいなあ、温泉付きの城。城の見学を終えて初志貫徹してそばも食べてます。鴨せいろがあったら鴨せいろを食べようと決めていたのですが

諏訪湖のほとりを歩いていたらとろろにしようと気が変わっちまいました。そういうこと、ありませんかね。ないかもですが。