頂上ではないものの本丸のあったところからは東側の仙台駅方面を見下ろすことが出来るくらいの高さがあり、城は攻めにくくて護りやすいほうがよいのですが、東側から北にかけて広瀬川が流れいざとなったら橋を落とせばよく、南側には渓谷があり
じゃあ西は、というと銅像のうしろをご覧いただくとわかるのですが森になっていて敵方が大挙して進軍してくることは考えにくいです。山城の難点は水の確保で、本丸跡そばの資料館で尋ねると本丸のそばに井戸があったそうで、丘陵といえどもその頂上ではないところに作った理由が腑に落ちています。バカと煙は高いところに登りたがるといいますが、政宗公はバカでもなければ吹けば消えてしまう煙でもなかったということになります。
本丸跡のそばには平成に入ってからの石垣改修時に不要となった石垣を使って、石垣の裏側がどうなってるかの展示もあって、ついまじまじと眺めてしまっています。
北側には石垣が現存していますが政宗公の時代のものではありません。資料館の資料によると1616年、1646年、1668年にそれぞれ地震があって石垣が崩壊し、いまあるのが1668年の地震の後に作り直されたものです。そしてかなり些細なことなのですが政宗公時代は傾斜が48度であったものがいまある石垣は70度で、天下泰平の世になっても防禦はより手厚くしていたわけで、江戸への警戒が滲みでてるとも解釈が可能で、興味深いというかなんというか。伊達家は徳川家に表面上は服従しつつも腹の底では仮想敵であり続けたのではあるまいか、と。
10代の頃に伊達政宗を視聴したうっすらとした(「心の目で見れば今も紫」とかを覚えてる程度の)記憶があって仙台城址はいつか行ってみたいと思ってたところではあるものの、天守閣があるわけでもなく建物が再現されてるわけでもない地味なところで万人受けするところではないです。でも、細部を観察すると興味深いところで、麓の地下鉄の駅から歩いて登城する価値のあるところだったかな、と。