伊賀上野へ

週末に奈良へ行っていました。東京から奈良へ往復しようとすると新幹線京都経由で近鉄というのがまず思い浮かびます。でも「往復同じではつまらない」という理由になってない理由で今回は復路を伊賀市経由にしました。いままで伊賀に縁が無く忍者の里という以外ほぼ無知に近いまま寄り道しています…って前書きはともかく。

伊賀市には上野城というお城があります。藤堂高虎が拡張しようとしつつ果たせず江戸期は未完成のままで、いまある天守閣は昭和初期に建てられたもので、天守閣内は資料館になっています。

緑豊かな城内でわりと目を引くのが石垣です。反りが無く、急勾配で人為的な線でストンと行き、かつ、よじ登るのが難しそうな石垣です。

西側には高低差30m程度の高石垣(と俗に呼ばれるもの)があります。藤堂高虎時代に作られたものでやはり反りが無く急勾配で堀までストンと行く印象です。西には大阪がありますからどういう性格のものか、何を目的に作られたのか、なんとなく想像できます。

天守閣内の資料館で知ったことの受け売りなのですけど、幕末に伊賀を震源とする大地震が起き城内にも城下にも当然被害が出たのですが、当時作成された被害図を眺めると興味深いことに高石垣はあまり被害が出ていません。大坂の陣があった慶長年間には地震は頻発してますから基礎工事を念には念を入れ施工した可能性もありますが、いずれにせよ当時の土木技術がかなり優れたものであったのかなあ、と。

煙とナントカは高いところに登りたがるといいますが、天守閣から伊賀の街並みも眺めてきました。

他に城内にあるのが忍者屋敷です。忍者屋敷が城内になんであるの?とか、そういう不粋なことは横に置いておくとして。

忍者屋敷では忍者の格好をした職員さんが丁寧に屋敷内を案内してくれます。たとえば暗いところから明るいところは見えるけど明るいところから暗いところは見えないことを利用して忍者が偵察していたことを含め、忍者が一般的にどういう活動をしていたか、などです。正確には「忍者がどういう活動をしてたかわかる屋敷」のほうが近いかも。

壁のように見せかけておいて板の真ん中に軸を通して板を回転できるようにして、それを利用して身を隠すことができるようになってるいわゆる「どんでん返し」なんですけど、けっこう音がします。決してこっそりとはできません。実用的でもないような。ただ、板の真ん中に軸を通して回転できるように工夫した着想は非凡だよなあ、と。

実用的ものっぽいものでは、床板を即外せるようにして隠していた刀を即取り出せるようになってる仕組みがありました(是非機会があったら現地でご確認いただきたいのですがほんとに早技だった)。また濡れ縁の板を外すとそこが格納庫になってて、重要な書物を釜や壺に入れ砂などをかけて格納庫に入れ火事に備えてた、というのも興味深かったです。いまでも消火砂は利用されてますが砂が火に強いという知見は忍者の時代からあったんだなあ、と。

なお資料館も併設されていて、そこでは最新の研究の結果も反映されていました。(それ、ハットリくんの影響だろとツッコミを受けたのですけど)忍者というと手裏剣を早技で投げるイメージがあるのですが実際に投げる際には石の礫を多用していたようで。手裏剣を多数持ってたら重いはずで、理屈はわかるのですがなんだかちょっと(もう夢見る年頃ではありませんがいくらか)夢が壊れています。

忍者とは関係ないことを書いておくと屋根の上にあわびの貝殻っぽいのが散らしてありました。職員の方に質問すると答えてくださったのですが、(あわびが海のものゆえの)防火のおまじないと、屋根材目当てに来る鳥があわびの貝殻を苦手とすることから鳥除けなのだそうで。あわびの貝殻にそんな効能があるのを知らなかったのでやはり興味深かったです。

さて、伊賀市はガチで忍者推しで

あちこちに忍者がいます。コインロッカーや

市内を走る電車の網棚の上にも。

(おそらく貸しコスプレ店があるっぽいのですが)忍者コスプレをしてる人もいて、最初はそれを目撃してびっくりしましたが次第に慣れました。伊賀市は良い意味でちょっと変で、興味深くて時間泥棒的なところでした。

城下町の和菓子屋さんの横でネコに突進されかけましたが、たぶんそれ以外は平和な街の、はず。