忍城へ

忍城日本一」と書かれてる銘柄の安い軍手を買ったことが名古屋に居た頃にありました。忍城がどこにあってなんて読むのかも知らなかったうえそもそも何をもって日本一なのかが謎でさっぱりわからなかったのですが、それらは10年前の『のぼうの城』という映画を観ているときに偶然解けています。『のぼうの城』は(いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが)いまの埼玉の行田の忍城を本拠とする北条方の成田氏と秀吉の命を受け水攻めする石田三成との攻防戦なのですが、結果的に小田原城より持ち堪えてしまい忍城は水攻めによっては落城しません。つまり秀吉傘下の軍勢が落とせなかった城なので忍城は日本一の城と云えるわけで。問題はなぜ軍手にそれがかかれていたのかなのですが、それはいったん横に置いておくとして。

その(おしじょうと読む)忍城に日曜日に行ってきました。

いまある城というか櫓は忍城跡に戦後建てたもので、中は行田の歴史に関する博物館になっていて、当然のこととして石田勢による忍城攻めの記録もあって『のぼうの城』を映画と原作共に知っていたので食い入るように眺めています。古地図を眺める限り城の周辺は沼地で島状の微高地に城があり、馬では近くへ行けませんし小船で近寄れば城から銃や弓で射抜かれてしまうわけで、正攻法で攻めるのは確かに困難です。たしかに水攻め以外どういう方法があるのか、凡人には思いつかず。

城の南方には湧水のある沼が複数現存します。フィクションに影響される悪い子なので、物語内で出て来た小船の上で田楽踊りしていたのってここらへんだろうか、とかちょっと想像していました。

城の周辺はいまは堀が残っているものの、古地図にあったほどの広さはありません。城の周辺の沼地をどうしたのかの説明が展示になかったので、訊きに行っています。が、埋め立てたのは確かなのだけど(≒地震に弱い)、どうやって埋め立てたのかは資料がないそうで。一説によると(石田勢が陣を置いた)近くのさきたま古墳群を崩して持ってきたのではないか、とも。

さて、軍手に話を戻します。江戸期になってからは忍城周辺では綿花生産が盛んだったこともあって・忍藩が足袋生産を推奨したこともあって、行田は昭和まで足袋生産が盛んになります。かつては多くの銘柄の足袋があったようで博物館内にはマークを含め一覧がありました。その中に忍城印というのがあって、この先人力詮索になってしまうのですが軍手と足袋の関係は同じ綿製品という以外は謎なものの私が手にした軍手はその足袋の会社の製品かなあ、と。

行田の西隣は熊谷で、関東でも有数の夏はむちゃくちゃ暑い街です。なので9月とはいえ行田も暑いはずで「もうちょっと涼しくなってからのほうが良くね?」と具申したのですが「行ってから後悔しよう」ということになってしまっています。実際暑かったのですが、(籠城が決まってから急にぐいぐいくる)原作をいまさらながら読み終えたばかりなせいもあって、物語の現場へ行くのはいくぶん興味深い体験だったかな、と。