岐阜城へ

日曜月曜と岐阜へ行っていました。

岐阜駅の北方の長良川のほとりの金華山岐阜城があります。正確に書けば「ありました」で徳川家康の時代に廃城となり、頂上付近にいまある天守閣は戦後に建築されたものです。バカとナントカは高いものが好きといいますが、見学しています。

いまはロープウェイで天守閣のほかに織田信長時代には櫓などがあった頂上付近まで行くことができます。それに乗って行ったものの、そのあともけっこう山道が続きまして簡単な散歩道ではありません。息も絶え絶えというほどではありませんが途中からちょっと疲弊していました。こうなってくるとほんとに城があったのか?と思えてきます。

思えてきますがちゃんと城跡だけあって堀切というか切通の跡があります。いざ敵が攻めて来たら掛かってる橋を落とすことで防禦できます。

天守閣のそばには谷を埋めた石垣があります。もちろんよじ登れそうにはありませんし、上から石を投げられたら危険です。もっともズルしてロープウェイを使ってもちょっとキツく、ズルしないで1時間の山道を登ってきた時点で兵はかなり疲労してるはずで、冷静に考えると「そこまでするか」感があります。

ただ、このすぐそばに井戸があるものの石の合間から染み出てくる湧水と雨水を貯蔵するためのもので、他に複数似たような井戸があったらしいのですが籠城するとなると水の補給は相当厳しいことになるのではないかな、と。そうするとあまり籠城を想定してない、飾り物の城っぽくなってくるのですが。

天守閣直下も攻めるほうの戦意を喪失させかねない坂道が続きます。わりと足腰は鍛えてるつもりですがこの坂を見て正直「まだあるの?」となったことを告白します。

その天守閣からの眺めはさすがによかったです。

ただ西側方向の外を眺めようとしたとき、少し腰が引けてたのを自覚しました。あれ、高所恐怖症だったっけ?と面白そうに云われても強がれない程度に若干の恐怖を感じてて、おそらく尾根が見えないので相当な高低差のある崖の上に立ってる感覚に陥ってたのかも。

西側の山麓には斎藤道三および織田信長の居館と思われる遺跡があり

滝があった庭園を含む庭園などもあったようで調査発掘が進んでいます。

岐阜城を見学するまで信長というのは破天荒な人物なのではないかとフィクションの影響で想像していたのですが、岐阜城を見学した後はもしかしたらよく云えばかなり神経質な人で、悪く云えば怖がりで虚勢を張っていたのではあるまいか?というように思えています。もちろん正解はわかりませんが。現地現物を眺めると想像力が掻き立てられて刺激的な体験だったかも。

なお、岐阜城にはリスも居ます。