「深い」もしくは「深さ」についてその2

 

gustav5.hatenablog.com

という記事を書いたあと

nonavias.hatenadiary.jp

言及いただいたので書いておきます。

個人的な経験から書くと私は井伏さんの『黒い雨』を読んでピカドン直後や戦後の日常についての細部の描写が作品に「深さ」を出してるのではないか?と考えていました。文学部卒ではなく文学に詳しいわけではありませんから、もちろんここらへん異論があるかもしれません。そもそも「深い」という言葉の意味だけ抜き出してみても多様で「深い≒底の見えない深さ」もあれば「深い≒難解さ」、英語のdeepもしくはdepthだと「深い≒声音の低さ」も含みますし、in deepなら「深い≒抜き差しならない」という意味にもなります。人間は工業製品ではありませんから脳内が同じとはありえなくて、文中の

「深い」というのは人によって違うんだと思う。

というのは同意見で、人によって違うがゆえに他者が発した「なにが」+「どのように」が無いプレーンな「深い」について、どういう意味でいってるんだろう?と考え込んでしまうのです。

加えてnonavaisさんが脳内に浮かべる「深い」と私の脳内の「深い」はまったく違う可能性がある以上、たとえば「深い」を「難解」というふうにとられたら困るよなあ…とか、あれこれ考えていろんな意味にとれるあいまいな誉め言葉にもなればけなし言葉にもなり得える「深い」という言葉を私はなるべく避けています。

強いて言えば「興味」+「深い」で興味深いとかなら躊躇なく使いますが、その場合も対象を限定して「考えたことすらなかったので興味深かった」とか使います…って、差異がありそうなところを記述してるつもりなのですが、ボールペンでビー玉をつつくようになんだかひたすらあっちこっちへ行って恐縮です。

差異はあれどだいたいおっしゃろうとしてることは理解しているつもりです。

さて

音楽にも文学にも縁遠い生活をしていて、とか書いてましたが、縁遠い生活とはどれくらいの縁遠さなのかと変なところに引っかかってしまいました。(笑)

ということに関してなのですが、音楽を聴いたり物語を読んだりし、それらについてなにかしらの記述をしたり他人にその良さを伝えたいとかいった場合に、「演奏が匂い立つような」とか「鳥肌がたった」とか「読んで心が揺さぶられるような」とか「読後感は焼酎のきついやつをあおったような」とか身に起きたことを具体的に説明出来ることがあります。しかしながら「やべえ、この見積り額だと一括償却資産になんねえ…」とか「電帳法改正対応めんどくせえ」とか考えてる毎日を送っているので、(今回のように本を読んで「深い」「深さ」について改めて考えることもそうなのですが)文学や音楽に触れた上でそれらについて言語化したいことを言語化するのにある程度の時間がかかります。その程度に縁遠いです。

頭が悪い上に黙ってれば高等遊民を偽装できたのに無産無知識労働者階級がバレてしまったのでこのへんで。返答になっていなかったら申し訳ないです。